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2006年03月25日

当たり前じゃない等価原理

重力と加速度が等価なんて当たり前じゃん、と思っていたのは、完全に高校のときに習った物理の影響である。なぜなら、本当に当たり前のごとく、突然「重力加速度 g」が与えられ、それを基にして物質の運動を記述し始めるからだ。F=ma という式が天から舞い降りたように登場し、自由落下の場面になると、突然 a=g になる。物理を習い始めた数時間後には、加速度=重力という概念が刷り込まれる。ここまで有無を言わさず、この等価式が与えられると、一種の洗脳現象が起こっているようなものである。そう簡単に常識を覆すことのできない理由を自分自身が体感している。この厚い衣を脱ぎ捨てることができるのだから、やはりアインシュタインは天才だよ。加速度と重力は根本的に区別がつかない、この発想が一般相対性理論の構築につながったわけだ。相対速度の概念から、相対加速度の概念への拡張、結局加速度が重力と等価であるというわけだから、一般相対理論は重力理論そのものなんだとようやく合点がいった。まさしく世紀のパラダイムシフト、サイエンスの醍醐味はここにある。

上野で初めてカプセルホテルに泊まったが、結構しんどかった。建物自体はきれいで、内装も清潔感溢れるのだが、とにかく利用者の不潔さには呆れ返った。もう周りを見る余裕も無くなってしまって、早々に風呂も上がってきてしまう。リラックスできる空間には程遠い、至るところはタバコ臭いし、床で人は寝ているし、いびきもずいぶんと高らかだ。来週も何日か止まろうと思っていたが、かなり今は萎えている。慣れれば快適になるのだろうか。薬局の人には、今度ラクーアに行ってみたらと言われたが、現在思案中。こういう時じゃないと、行けないところっていうのはたくさんあるから、いろいろ試してみようかな。本当に慣れの問題かもしれないので、しばらく放浪してみよう。きっと、だんだん楽しくなるさ。

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2006年03月24日

アルミバンバン

実家から学校に通っている。片道1時間半もかかる、これまで5分で着いていた身には堪える時間だ。家でネットもできないので、日記の更新もできない。何かしら書いていないと意外にストレスが溜まることがわかった。書こうと思ったことを書けない時は、背中がむずがゆくなり、なんとも不快である。自分の中に入ってきたものを表現することは基本的には快楽なんだと思う。

引越しの荷物で実家の一階はダンボールに埋まった。それでも、なんとかコタツを置けるスペースがあるから、全く足の踏み場が無いというわけでない。それでも、だいぶ威圧的な空間なので、長時間いるような部屋ではなくなってしまった。もうホントに家には寝に帰るだけ、もしくは、家には帰らないという手段を取らざるを得ない。今日の夜は上野のカプセルホテルを予約しておいたから、そこで疲れを取って、明日のバイトに備えたい。かなりのリフレッシュ空間らしいので期待している。テレビ神奈川映るかな。今週は月曜日しかサクサク見てないよ。

結局引越しは2tトラックを借りて作業したわけだが、なんと最後のトラック返却時に事故がおきた。東大和の営業所にトラックを返しに行き、そのトラックを車庫に入れようと思い、駐車場に乗り入れた瞬間……「ゴン!!」。えっ、えっ、何で。どこに何がぶつかったの?慌てた様子で、レンタカー屋のおっさんが飛び出して来た。彼の指差す上方を見上げてみると、アルミバンの屋根が駐車場天井にぶつかったのだ。そこはビルの一角らしく、二階の窓ガラスが一枚、きれいな蜘蛛の巣状の模様を呈していた。

っていうか、おかしいでしょ。ここは営業所なんでしょ。なんで借りた車が入らないような高さの駐車場なのさ。車の高さには十分気をつけていたから、車高が2.85mだっていうことは知っていた。せめて高さの表示がしてあれば、僕はそれに気付いて、そこには立ち入らなかっただろう。これは僕の100%物的損害だとは到底思えず、抗議することにした。10分後に警察が到着、雨も降り出して辺りは暗くなっていく。

警官が事故現場名を「○○レンタカー前」と書いたことに、なぜかレンタカー屋のおっちゃんが文句をつける。車両保険の免責金額が不利になるので、とかいう理由を堂々とのたまう。いや、事故は確かに「○○レンタカー前」で起きたんだから、それは取り消せるわけが無い。警官も彼の抗議は却下、現場の名称は確かにここなのだから。でも、僕の言い訳が聞き入られる状況でもない。運転者の車高確認は義務づけられている。公道の鉄橋のようなところなら表示義務があるかもしれないが、私有地に関してはあくまで親切で明記する程度のことである。事故防止策として車高が表示してあることに越したこはないくらいなものだ。最終的にはレンタカーを借りる時に保険に入っていたので、基本的に全て保険が下りるわけだが、車両に修理が必要な傷がついた場合はノンオペレーションチャージというものを有無を言わさず請求してくるのだそうだ。それは2万円なのだが、これは僕が満額払わないといけないのだろうか。減額もしくは、保険の適用があってもいいのではないか、と警官に行ったら、それは警察の中に相談窓口があるので、そこで専門の人に聞いてくださいとあしらわれた。電話する時間なんてないよ、とりあえず先に2万円だけ払って、その場は一件落ち着かせることにした。

やはり、ここに来て流れがよくない。こういうときはじっと我慢して、時が過ぎ去るのを耐えるしかない。きっとまた、いい流れに乗ることができる時がやってくるだろう。そこで爆発できるような下準備を今は蓄えておかねばならない。

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2006年03月21日

カエラがいなくなる~

リトリートは無事終了。箱根の旧街道も楽しく散策できた。久しぶりに班行動というものをしたが、たぶん高校の修学旅行以来ではないだろうか。うちの班は教員率が高く、半分は助手以上の職についている人達だ。まあ、いろいろ事情を知っている人だったので、思ったより話が弾み、あっという間に2時間が過ぎていく。途中甘酒茶屋で休憩を入れたのでトータルで2時間半くらいの散策であった。終着点には箱根寄木細工のお店があり、みんなその作品に見入ってしまう。手間のかかる工芸品であるから、結構なお値段だったのだが、気に入った人は1万円くらいのものを買っていたのではないか。僕には完全に手が出ない…。

そして、6時半ごろ学校に到着。7時から始まる竹内さんの「99.9%仮説」刊行記念の講演会に間に合いそう。ということで、地下鉄に乗り丸善へ向かった。東京駅前にオアゾという建物があり、そこの一角を大きな書店が占めている。こんな建物いつの間にできたんだと驚いたが、丸の内地区は再開発がどんどん進んでいく。八重洲側も含めて東京駅周辺は変貌を遂げるのであろう。どこの地区も人を呼び集めようと必死になって新しい建物を建てているように感じる。経済的な発展だけでなく、文化の発信地としても成長していってもらいたい。

明日は引越しなので、講演を聴いてすぐ帰宅。明日に備えて体力を温存しなくては。がしかし…、それを打ち破る大事件が起こる。いつも楽しみにしているテレビ番組「サクサク」の木村カエラが、なんと3月で番組を降板すると言うのだ。えっっ~~~~~!これは大ショック!!カエラの出ているサクサクが、毎日の疲れを癒してくれるのに。こう毎日習慣になって観ていた大好きなテレビ番組の改編には、もう泣きそうな勢いだ。「カエラ~、行かないでくれ~!!」っと、心の中で叫んだが、彼女の躍進には必要なことなんだと自分をなだめる。最近、あまり自分の周りを流れている空気が良くないとは思っていたが、今日のこの発表には、かなりの追い討ちがかかった。あと残り2週間しかないのに、引越しで見れない日もあるだろう。あ~、サクサクの見納めも下手したらできないかもしれない。カエラの活躍はきっとこれからも広がると思うし、サクサクという番組自体が終わるわけではないので、もう少し落ち着いて眺めていようかと思うが…、やっぱり切ないな~。

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2006年03月18日

なんとかなるの?

今週末はリトリートという名の研究合宿を箱根でやる。COEプログラムの「生体シグナル」を構成している10の研究室が一堂に会して、未発表研究も含め、都会を離れて議論するのだ。っといえば結構聞こえがいいかもしれないが、実際は研究室間での人的交流を深めましょうというのが主な目的だと思ってもらって構わない。いろんな人と研究の話を通して仲良くなって、今後のコミュニケーションに活かしましょうということである。だから、大真面目に研究について議論してももちろい良いのだが、お酒を交わしながら、普段考えていることを語らうだけでも十分実になるのだ。僕もそういう人のネットワークが最終的に生きてくると思うから、人間同士の関わり合いを積極的に取り入れることは賛成だ。人付き合いはストレスが溜まるものでもあるが、それ以上に多くの収穫を得ることができる関係性でもある。

ということで、一応研究発表をするので、参加する大学院生は学会で使うようなポスターを作らなければならない。え~、実はまだ作っていません。リトリートは日~月曜日なので、明日バイトが終わったら、研究室に速攻で戻ってパワーポイントをせっせと操作しなくてはならない。背水の陣を特に好んでいるわけではないのだが、最終的に自分を追い込むと、相当集中力が上がるのは確かである。月末は生理学会もあるから、その発表の準備も兼ねてちょうどいいかもしれない(でも、生理学会は口頭発表なので、また勝手が違うので困る)。そしてリトリートが終わった翌日の祝日には引越しだ。やばい、体力を温存しておかないといけないのか、月曜日は箱根の旧街道を2時くらい歩く予定なのだが、身体は持つのか心配。飲み会だって合宿ということで、ほぼエンドレス状態になるというのに…。「なんとかなるだろう」精神で生還できることを願う。

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2006年03月17日

バカになれ

生協の前は新入生でいっぱい。これから始まる大学生活に心を躍らせて、手続きを済ましているに違いない。多くの部活やサークルの勧誘もすごい。新入生と在学生が新旧入り交ざり、まさにキャンパス内はごった煮の様相を呈している。大学生になって経験する様々なイベントは、今後の人生の行き先を大きく左右する。いい仲間たちと出会い、切磋琢磨してドンドン成長していって欲しい。何が縁でどんなクラブに入るかは予想がつかないものだが、強力なインスピレーションを感じたらエイッとそこに飛び込んでしまえばいいのだ。

僕も大学時代にマンドリン楽部に入らなかったら、今の自分は形成されていないだろう。当時は馬鹿ばっかりやって迷惑もいろんな人にかけてきたけど、そんな無駄のように思える時間が実は一番大切なのだ。本当にあの頃は適当になるがまま生きていたし、感情をあらわにして喧嘩したこともある。大切な友達を傷つけて、関係が複雑になって、後ろめたいしこりが残ったりした。許してくれとは言わないが、過去のこととして水に流してくれると嬉しいとは思う。それでも、人間関係というのは繊細で脆いものだから、全てが万事うまくいかないことは当然で、そういう重荷を背負ってみんな生きているのだ。そんな理屈もへったくれもない感情だけが支配していた大学生活は、今の日常を過ごしていくための糧となり、僕の主要な原動力となったと言ってもいい。あの頃は何もわかっちゃいない、何もわかっていない幸せ、それが許されて最高の思い出と昇華する時代、それが学生時代、とりわけ大学時代なのではないだろうか。新入生には、おおいに周りに迷惑をかけてくれ、何を考えているか分からない言動や行動も許されるはず。成人式の混乱のような大規模なものになると事件性が出てきてしまうが、それを恐れて縮こまって何もしないでいたら、ろくな大人にならないぞ。

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2006年03月16日

方程式が見つからない

仙台から友達が来訪。明日横浜にある市立中学校でインタビューを行うらしい。飯を食いながら、自分の近況なんかを報告しあうと、あっという間に時間はたっていく。こうやって自分の話したいことを何でも言える友達というのは本当に貴重な存在だ。今年の夏は彼を含めて、マンドリン時代の友達と温泉旅行が実現すればいいな。もちろん、みんな休みがバラバラであろうから全員集まれるかどうかは分からないが、早い時期から計画を立ち上げて、具体化する方向へ話を進めていきたい。

結局、人と人は目に見えない何かでつながっているのだ。その何かは物質ではないが、確かに存在する関係性である。分子生物学のような還元的な生命科学研究がこの関係性を明らかにできるだろうか。それは明らかに否である。そこに僕が還元的研究の限界を感じた唯一でかつ最大の問題点なのだ。人はモノが存在するということに安心する。薬のプラシーポ効果を例に挙げれば分かるが、たとえ偽薬であったとしても、薬というモノを飲んだというだけで効き目が出ることがある。本来なら薬というモノには有効成分が入っているわけだから、薬を対象に研究を進める上では還元的な研究は非常に効果的だ。最終的には致死的な病気さえ治療することができると考えると、今後も精力的に医薬研究を続けていく必要はあるだろう。

しかし、その一方で、偽薬なのになぜ効くのかは精神的な安心感が引き金になっていることに他ならない。その安心感はモノから得られるものではあるが、安心感はモノではないのだ。安心感という感情の生成は薬との関係性にある。偽薬の場合は有効成分が入っていないわけだから、薬を飲んだという行為と気持ちとの間に関係性が生まれる。その間の相互作用を現代の科学ではうまく記述できない、安心感というものがどうやって沸き上がってくるのか、そもそも安心感を一義的に決めることができないことが、問題を複雑化している。だからといって、定義しないと研究できないというもの皮肉に聞こえる。方程式が見つからないものにアプローチすることは、科学をする上では大冒険になるが、人間を含め社会を理解するということは、そこに足を突っ込むことなのだ。あまりにも底が深くて逃げ出したくなるのが本音だ。

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2006年03月15日

ソンセンニン(先生様)

先生と呼ばれてもまだあまりピンと来ない。これまで塾の講師や家庭教師もやったことがあるから、先生と呼ばれたことはあるものの、あまり日常的に聞くものでもない。そんな感覚だからメールに水谷先生などと書かれているとビックリする。そうか、4月から毎日のように先生と呼ばれるのか、きっと、しばらくしたら慣れてしまうんだろうな。でも、ここで気をつけておかないと、変な誤解を頭の中につくってしまうのだろう。

学校の先生、医者の先生、弁護士の先生、国会議員の先生…、先生と呼ばれる人たちは世界が自分を中心に周っていると勘違いする場合があるということだ。もちろん、ごく一部の人たちに過ぎないけれど、先生と呼ばれることを神と呼ばれることと同じ意味で捉えているんじゃないかという輩がいる。ある種の権力を持ち続けることで、自分にできないことはないと思えるような錯覚に陥ってしまうのだ。特に、支配する対象との力の差が歴然の場合、まさに先生はそのコミュニティーの独裁者となれるわけだから、質(たち)が悪くて当然である。先生という呼び方はもう廃止してもいいのではないだろうか。っといっても長い歴史がある言葉だけにそうもいかないか。教授をいきなり「さん」呼ばわりしたら、自分の立場は相当窮地に追いやられるであろう。結局自分も先生と呼ばれ始めてしまうわけである。無理に断ってもいいんだけどな~、慣習を破る難しさをつくづく感じる。とりあえず、支配という言葉とは縁を持たないように、いつも通りの自然な振る舞いを続けていこうと思っている。先生という呼び方にどうしても慣れなかったら、日本を脱出だな。

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2006年03月14日

素敵なフィクション

なんか今日は頭が思い。教授が長い出張から帰ってきたからだろうか。そんなことが仕事に影響するようじゃまだまだ未熟だな。どんな境遇でも結果を出していかないと、すぐに潰されてしまう社会なんだから。本当はそんな社会の方が潰れてしまえと願っているのだが、そうも言ってられないのが現実か。また一種の妄想を糧にエネルギーを蓄えるとしよう。現実を生きるために、非現実的な世界を構築する人間の能力って本当に摩訶不思議である。「現実逃避」という言葉が使われるが、「逃避」という言葉は不適切で、かなり積極的なアクションが「現実逃避」には含まれているのではないか。「現実逃避」ほど創造的な世界観を提示できるものもないと思う。テレビを観たって、本を読んだってフィクションのものばかりだ。

だからサイエンスが現実なのかといったら、それを確かめる術もない。もちろんSFは作り話を前面に押し出しているが、いわゆる学術論文だってフィクションかもしれない。それが露骨になると捏造になる。捏造したらSFに分類される、面白いならそれなりの作品として認めてあげてもいいかもしれない。たぶん世間は認めないだろうけど…。科学は自然現象を発見しているに過ぎないと思われるかもしれないが、実際はかなり主観的な意図が論文の骨子に含まれている。自分の仮説が都合よく証明できるところだけ発表して、都合の悪いデータはお蔵入り。それは実験がうまくいかず、技術的な失敗に終わったといういい訳をすればいい。実際にそれで正しかったこともこれまで多くあったわけだから、それはそれでいいのかもしれないけど、胡散臭いものも山ほどあるわけだ。きっと学術統合化で一番のネックになるのは、このジャンクを見分けることができるかというところにある。すべての論文を正しいと仮定してプロジェクトを進めることには、多分のリスクを感じる。はっきり言って、フィクションは相当なトンデモでなければ、フィクションだと分からない。そこをどこまで掻い潜っていけるかが僕の仕事の質を左右することになるだろう。

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2006年03月13日

春は近い

薬局のアルバイトも今月で終わり。管理薬剤師さんとは会うのはもう今回が最後であったから、少し寂しい気がした。短い間の付き合いであっても人と別れるのは悲しい気持ちになるものだ。よっぽどのことがなければ、もう一生会わないんだよな。もちろん、そういう人の割合が9割以上を占めるわけだから、今も付き合いが続いている人というのは奇跡に近い。そう思うと友達と言うのは掛け替えのないものだなと感慨深くなってしまう。この世の中で一番大切なのはきっと家族や友人なんだろう。少なくとも僕はそう信じていたい。

桜が咲けば、また新しい生活が始まる。別れもあれば出会いもある、それが日本の春なのだ。そんな新しい季節を迎えるに当たって、自分にも少し変化を加えてみよう。っとそんな考えから、眼科でコンタクトレンズを処方してもらった。コンタクトレンズは高校を卒業したときに一度無料お試しで、ハードレンズを一週間くらいつけた記憶があるのだが、あまりの異物感に挫折した。それ以来、結局メガネをずっとかけていて、経済的だし脱着も楽だしということで長年愛用してきた。4月からお給料ももらえるようになるし、少しくらいお金を使ってもいいだろうという考えで、コンタクトレンズに再挑戦!高校生の時分にはなかった使い捨てのソフトコンタクトレンズを処方してもらい、上野アメ横の近くにある卸しのメガネ屋で激安にて購入してきた。ワンデーアキュビューモイストが2500円というネット通販より安い価格設定。ここのメガネ屋にはずっとお世話になっている(今かけているメガネはGIORGIO ARMANIだが、なんとレンズ付きで12800円だった)。

でも、メガネも実は捨てがたい。なんか科学者っぽいし。これで白衣を着ていれば、もうある種のツボが刺激される人もいるようでして。今まではメガネをファッションとは考えてこなかったが、時と場合によってはメガネがとてもふさわしく見えるときもあるだろう。その辺は今後うまく活用していこうと思っている。要は自分に多様性を持たせ、場面に合わせて、適切で最良なパフォーマンスを常に提示できること。今後は大学教官として研究をみせる必要もあるから(科研費を申請したり、プロジェクトを立ち上げたり)、他者の視点を通して、自分自身を磨き上げていければいいように感じる。メガネは外見を変えるだけにすぎないけれど、本質的な考えは、外見だろうが内面だろうが全く同じなのだ。そんなバランス感覚を大切にしていきたい。

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2006年03月11日

繰り込んでしまえ

日本人で2番目にノーベル賞をもらった朝永振一郎氏の業績は「繰り込み理論」の発見だ。1965年にかの有名な物理学者ファインマンとシュウィンガーとでその功績を分け合った。「何ですか、繰り込みって?」と感じるのが普通であろう。「繰り込み理論」の名を聞いたことがあったとしても、その理論の中身まで理解しているのは物理学科の一部の人たちに過ぎないようである。きっと僕が理解するのにも相当な時間と労力を必要とするであろうが、なんとなく概要だけは掴めるようになった。結局、「繰り込み」とは、理論に「実験値を繰り込み」ましょうというコロンブスの卵的な発想である。

彼らが繰り込み理論を発見したのは量子電磁力学の分野であるが、高校で習う物理学の公式の中にもその問題は大きな影を落としている。それは、万有引力の法則とクーロンの法則である。もちろん電磁気力に関係するのは後者のクーロンの法則であるから、それを例にして話を進めていこう。

プラスの電荷を持つものとマイナスの電荷を持つものはクーロン力により引き合う。まあ、男と女が自然に引き合うのと同じものであろうか。で、このクーロン力は距離の2乗に反比例して大きくなる。つまり、物体の距離が半分になれば、引力は4倍になるわけだ。距離が短くなればなるほど引力は劇的に大きくなる。そこまでは誰でも分かるのだが、じゃあ、そのまま二つのものがくっついてしまったら引力はどうなるの?理論的には、分母が0になって、クーロン力は無限大になってしまう。男と女の距離が0になったら、そのときの引力は無限大なんだろうか?(私たちの愛は無限よ、と言われたら反論できないけど…)

ということで、実際には無限大じゃないんだよ。じゃあ、その力はどれくらいなの?そんなの測定すれば分かることで、その実際に測定した実験値を理論に「繰り込み」しましょう、というわけである。かなり大雑把に言ってしまったが、こういうイメージで捉えてもらえればいいのではないだろうか。本当は、クーロン力ではなく、例えば電子(-)と陽電子(+)の反応確率を計算するのに必要な理論なのだが、僕にはここで説明できるほどの技量がないので、この程度でやめておくことにします。

ちなみに、万有引力の法則も距離の2乗に反比例して引力が大きくなる点で、まったくクーロン力と同じ。でも重力は「繰り込み」ができないらしいので、一般相対性理論を量子化することができない。だから、新しい量子重力理論が必要で、超ひも理論やループ量子重力理論などのような究極理論の候補が提案されているのだ。なぜ重力は「繰り込み」ができないのかは聞かないでください…。

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2006年03月10日

胴上げの準備

明日は合格発表のようだ。掲示が行われる通りを自転車で抜けていこうと思ったのだが、通行ができなくなっていたので分かった。合格発表での胴上げには憧れたものだ。それが叶わぬままもう10年も過ぎてしまったのか。明日受験生に混じって、「受かった~!!」って叫んでみようか、たぶん胴上げしてくれるかもしれないけど、虚しいものが残るだけである。胴上げされるまでには、それなりの苦難を乗り越えてこなければならず、それでこそ胴上げが無上の喜びを与えるのであろう。

胴上げは大学に入ってから実現した。たぶん2回くらいやってもらっている。一番印象に残っているのはマンドリンの定期演奏会が終わったときにしてもらった胴上げだ。実行委員長としての勤めが果たせたかどうか定かではないが、演奏会後のコンパの後、狭い路上の上で胴上げをしてもらった。胴上げって見ている分には「いいな~」と思うのだけれど、やられている最中は結構怖い。胴上げの最中に、不安に駆られない人はいないのではないか。頭から落とさないでくれよと頭の片隅で思っているのだ。喜びは胴上げが終わって地に足がついたときに訪れる。それは不安が安心に変わる喜びとの相乗効果によるものなのかもしれない。胴上げの後はみんなに感謝しきれないほどの思いに達する。何とも清々しいものだ。

大学院に入って研究生活に浸かってからは、その様な躍動感に身を曝していなくなっている。もう若くないからと言い訳をしてしまえばそれで終わってしまうが、自分の気力を年齢で縦割りにしたくはない。また4月から新しい生活が始まる。自分の肉体は歳をとる一方なのかもしれないが、今できる最も楽しいことに積極的に関わっていきたい。その中で、また胴上げを体験できるような機会に恵まれれば、意外にいい生き方をしているのではないかと思う。

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2006年03月09日

技術に頼る世界

ウチに帰ってきてふっとBBCをつけたら、ロジャーペンローズが出ている。最初ホーキングかと思ったのだが、物理学者というのは顔が似てくるのだろうか、大丈夫かペンローズ。番組では特に量子論の話をしているわけではなく、一般的な科学教育について話しているようだ。イギリスでも日本と同じような問題が起きている。つまり、科学は役に立つためにやるものだ、とか、生活を豊かにするのにどういう技術が必要かといった視点で科学を捉えることである。イギリスの学生も純粋科学への興味が昔に比べて薄れてきているらしい。これは完全に教育の問題なわけだ。

結局は世界中で同じような科学意識の偏りが生じているのだろう。そもそもアメリカなどは市場原理主義の世界であるから、科学哲学がどのくらい反映されているのか全く想像もつかない。やつらは金の取れる研究しかしない。いい雑誌に投稿して、それを業績として、多くのグラントを稼いでくる。それが最適化されるように研究を遂行しているだけのように見える。それも科学の発展の一つの方法かもしれないが、やっぱり自分としては味気なさを感じてしまう。それで科学大国を謳っているなんて…ホントのところはついていけない。日本はそれに対抗しようと同じような手段をとり、競争しようとしている。科学で勝つ方法は、アメリカのように研究し、多くの論文を載せることだと勘違いし、大学院生にその方法を強要してくる。あ~、なんて実のない大学院教育なのだろう…。まあ、確かに飯を食っていくには大切な"技術"ではあるかもしれないけれど…。もっと大学院生にしなければいけない教育があるのではないのか。やっぱり何事も技術だけではダメである。

最終的に自分がやりたいことは自然と自分からやりだすものだ。だから科学をやりたくなるような仕組みを教育に取り入れる必要がある。科学の本当の魅力を常に見せつけることが重要なのだ。といっても、なかなか目に見えるものでもないし、本当に面白いことは難しいものであったりするから、現実的に科学に一目惚れさせるのが困難なのは承知している。地道に教育環境を変えていくしかないのでだろう。常に科学の面白さが暴露されている現場が近くにあるような環境作りを効率的に実現するのにはどうしたらいいのだろう。やっぱり歌でも作ろうかな。結局いつもと言っていることがおんなじだ…。

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2006年03月08日

そんなところに総長が

構内を自転車で通っていた際、小宮山総長が誰かと立ち話をしているところにちょうど出くわした。初めての生総長であったこともあり、彼のほうをずっと見ていたら、こっちをふっと見たのでかなり焦った。見ていると人って気付くんだよな、視線を感じるっていうのはなぜだろう。そこで、「学術統合化プロジェクト」のスタッフとして来年からお世話になります、と言おうかと思ったけど、さすがに恥ずかしくてできなかった。目を逸らして研究室にそそくさと戻ってきてしまった。

やっぱり引越しをするとなると慌しい。いまさら業者を頼むのはお金も時間もかかるので、生協で2トントラック(アルミバン)の手配をしてきた。そしたら、親からも電話がかかってきて、いったん実家に荷物を持ってきても何とかなるからと言うので、結局荷物は実家に運ぶことになるだろう。本当にあの狭いウチに僕の荷物を置けるスペースがあるのだろうか。まあいいや、父親の根拠のない「なんとかなるだろう」を信じてみるか。

木村カエラの2ndアルバム「Circle」が明日発売なのだが、もう今日家に届いた。事前にアマゾンで予約はしていたけど、まさか前日に届くとは思わなかった。シングルカット以外でお気に入りになったのは「トゥリルトゥリルリカー」、実は前のライブのアンコールで一度歌った曲なのだが、それ以降聴ける機会が全くなかった。なんとこの曲は東宝系映画『嫌われ松子の一生』のオープニングで使われるらしい、なんかそんなことをMCで言っていた気もするが憶えていない。何はともあれ、カエラの魅力がいっぱいのアルバムであることは間違いない!これからもどんどんシンガーとして進化していって欲しい。

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2006年03月07日

もうここしかない

トータルで7件目の不動産屋にて、提示した条件を全て満たす物件が見つかった。しかも、家賃は7万円台と今の家賃より1万円以上安いのにもかかわらず、部屋の大きさはなんと50m2以上ある。担当してくれた不動産屋の方も、こんなにいい物件はそうそうお目にかかれないとお墨付きだった。が、しかし、難点が一つあり、それは入居日が4月中旬なのだ。つまり、今現在まだ人が住んでいて、退去が今月の下旬になるということなのだ。だから、内見もできず、部屋を間取から想像するしかない。人はこういうとき、自分がいいように考えてしまうから危険である。

部屋の様子を見ることができなくても、環境や設備を考えると、これ以上ないという物件なのである。同じ管理会社が担当している他のマンションの内装を見学し、大体こんな感じになるのかと納得はいった。住んでいる人と連絡が取れれば、許可を得て内見できると思うのだが、今日は実現せず、心残りだった。それでも、もうここしかないと思い、手付金を払ってきた。まだ預かり金としてなので、最終的に契約を交わさなければお金は戻ってくる。でも、それから探してもいいところは見つからないだろうから、よっぽどのことがない限りここで決まりだろう。

3月21日に今住んでいるところを出る予定だから、それ以降住むところがない。荷物は貸し倉庫かなんかに預け、カプセルホテル生活が始まる可能性が高そうだ。とりあえず、今月末日までは、上野広小路にあるダンディに、4月からは新松戸にあるパラダイス当たりがいいかなと、目星をつけている。新松戸には健康センターもあるから、それなりにリフレッシュできることを期待している。岡崎の生理研に行ったときも、健康ランドみたいなところで宿泊した覚えがあるし、泊まるところがないことを楽しんじゃえばいいのだ。10日間連続でしたあの車中泊(本州半周一人旅)に比べれば全然快適だろう。

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2006年03月06日

千葉フリークへの道

新松戸を彷徨う…、4月からの新居を探すためだ。柏周辺から探そうと思っていたが、さすがに駅の徒歩圏内は商業地域なので、住みやすい閑静な生活環境ではないと推測し、新松戸から手をつけ始めたというわけ。新松戸駅前は多くの分譲マンションが建ちそびえ、いかにもベッドタウンという雰囲気をかもし出している。買い物もしやすいし、飲食店もかなり充実しているのではないか。それでいて一本道を横に入れば、かなり静かな佇まいで、生活騒音もグッと低くなる。これでいい条件のマンションが見つかれば即契約だなという心持ちになっていた。

しかし、新松戸はなぜか東向きの物件が多い。区画整理の仕方の問題で、南向きは希少物件となっているらしい。これで南向きなら完璧だという物件はかなりあった。僕の希望は以下のとおり、駅徒歩10分圏内、予算~8.5万円、1LDK~2DK(35~45m2)、南向き(窓があればよい)、ケーブルテレビ、2階以上、バス追い焚き、駐車場。これを全て満たす物件があったらサインをしたかったが、今日は見つからず、明日は平日だが、ここで手を抜くとあっという間に物件が埋まってしまうので、明日は全力で新松戸を開拓してくるつもりだ。

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2006年03月04日

抱負か推薦書か

今回の公募に必要だった書類は、募集要項に書いてあるとおり、履歴書、業績リスト、抱負、推薦書だった。履歴書はいいとして、残りの3つが審査を大きく左右するのは確かだろう。その中でも、かなりの重要度を占めるのが教授の推薦書。これは宛先に直送しなければならないので、内容を知ることはできないのだが、ちゃんと推薦してくれたようで助かった。人にどう思われていようが自分としては関係ないのだが、結局人間関係はこういうところに響いてくる。やっぱり、仲良くやっていかなければいけないところなんでしょう。ネットワークの構成が極端に変わるリンクっていうものがあって、そのリンクが潰れるだけで崩壊をみせる世界もあるということを、頭の片隅にでもいいから気に留めておかねばならない。

今回僕が書いた「学術統合化プロジェクトに参加するに当たっての抱負」がどれだけ採用に考慮されたのは全く分からない。しかし、研究計画を提出するわけではないから、僕の意思や哲学を相手に伝えるための文書はこれしかなかった。3000字という限られた字数の中で、自分の考えが筋だって伝わるように、何度も推敲してこの「抱負」を書き上げたつもりだ。もう少し具体的な研究方針に触れようと思案していたが、結局字数制限を守ることが先決であるから、大幅にそこはカットした。「研究計画」ではなく「抱負」の提出を求めているからには、そのプロジェクトに対する想いが最も重要になるだろう。それに、もともと具体的な計画案が立てづらい課題でもある。相手の気持ちをつかめるように多少脚色した文面ではあるが、自分の思いは8割以上伝えられたように思う。あとは読み手の問題で良くも悪くも取れるだろう。最終的には、なんとか選考委員の心を掴むことができたのではないかと自負している。

長くもないけど短くもないので、お時間があれば僕の「学術統合化プロジェクトに参加するに当たっての抱負」をこちらからお読みください。

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2006年03月03日

進路決定!

決まった!!無事に大学職員の座をゲットだ!!4月から東京大学の助手になることができそうなのだ。キャンパスは本郷から柏に移る。周りには何もないところだったが、キャンパスは広くて新しいし、都内に出るのは容易だし、家賃も安くて済むし、活動拠点としては最適だと思っている。それでいて、自分の第一希望が通ったのだから、期待されるだけの仕事はしていきたい。審査はかなり厳しかったようだが、それをパスできたことは自分への自信にもなる。自分の進んだ道がいい結果を及ぼすのかどうかは分からないが、あの人みたいに生きたいと思えるような研究活動を続けていこうと誓った。

で、具体的にどんな職に採用されたかというと、実は以前話題にした「学術統合化プロジェクト」の職員だ。悪く言えば、これまでの知的産物をまとめるだけの仕事というような印象を受けるのは確かだ。しかし、総長がわざわざ「知の構造化」の一環として、4つの統合化プロジェクト(ヒト、モノ、地球、宇宙)を発表したのは、複雑すぎてよく分からなくなっている研究現状を打破するためのものと解釈すべきだろう。新しい学問の創発とまではいかなくても、これまでに想像もできなかった現象の発見に気付くかもしれない。そのたった一個の発見のために、あらゆる知識を纏め上げることに労力を惜しまない。そういう研究があってもいいと思う。その一個の発見が人類史上稀に見るパラダイムシフトの実現に貢献するかもしれない。夢は夢に終わるかもしれないが、現実味のない夢を追いかけさせてくれるなんてなんて贅沢なのだろう。まずは3年、何ができるのかも分からないながらも、膨大な知の海に足を踏み入れてみようと思う。まさに海底に沈んだお宝探しをするのと同じようなものなのかもしれない。

学術統合化プロジェクト(ヒト)の募集要項はこちらからまだ覗けるようなので、興味があったらどうぞ。明日は、僕がこのプロジェクトの審査に提出した「抱負」を載せてみたいと思います。

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2006年03月02日

合格発表前夜

今日は鼻炎がひどい。雨が降っているから花粉のせいではないと思うのだが…。そもそも、僕は鼻炎もちで、一年中鼻水が止まらない。学校では緊張しているためかそんなに酷くならないのだけれど、ウチに帰ってくるとティッシュが欠かせなくなる。ハウスダストがアレルゲンだろうから、ちゃんと掃除すればいいんだよな。でも、ここのところそんな暇もなくほったらかしの状態が続いている。今週末はさすがに片付けようか…。ちょっとこの部屋の状態は汚すぎるからな。

実は明日は進路が決定する大切な日だ。もう今から緊張してしまい、今日の実験は上の空であった。来年度の予定が決まらないと、具体的な行動が何もできなくって困るので、ここらでビシッと白黒ハッキリつけて欲しい。4月からの進路が決まればそれまでにやるべきことがドンドン湧き上がって、この不安定な状態を脱することができるだろう。賃貸契約の問題なども絡むので、早くスッキリしたいのだ(大家から来月からどうするのか発破をかけられている)。でも、もし第一希望が通らなかったら、それなりに凹むだろう。次に受け入れてくれそうなとこはテーマが微妙だし、もちろん贅沢は言えないのだが…。この生殺し状態は結構心臓に悪い。早く明日になって僕に止めを刺してくれ!

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2006年03月01日

まさかの東横イン

今月の末に生理学会で前橋に行くのだが、宿泊先をまだ確保していなく、「じゃらん」を使って予約しようとしたら、ほとんどのホテルが満室。学会事務局を介して予約すると値が張るからインターネットを使うのは常套手段だが、まさかもう一杯になっているとは不覚であった。前橋駅から徒歩15分くらいのところにあるホテルが一つ空いていたのだが、学会会場までの交通の便が最高に悪そう。泊まらなければどうしようもないので、このホテルを予約しようと画面を進めていったのだが、何か他に方策があるのではないかと唸っていた。

そうだ、前橋には友達がいるではないか。ということで、彼に電話してみる。前々から、会期中一晩くらいは飲もうと思っていたのだが、少し早いが連絡しちゃえというノリだ。久しぶりに話したが、お互いあまり変わっていない。自然な会話が続き、学会中は飲もうなどの約束をした。で、前橋駅付近でいいホテルはないかと聞いたら、なんと東横インが2月14日にできたばっかりだと言うのだ。おお!なんてタイムリーなんだ。しかも南口を出て目の前で、交通の便は限りなくよい。持つべきものは友達だよ、と心底からそう思った。

東横インのホームページで早速予約、宿泊代もリーズナブルで、まさにベストチョイス。2週間前にできたばかりだから、部屋も綺麗なことだろう。最近このホテルの経営にトラブルがあることが発覚したが、あまり気にしていない。一時は高崎まで視野に入れて宿を探していたが、鶴の一声で全ては解決されてしまったとさ。

投稿者 はるお : 03:08 | コメント (136) | トラックバック