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学術統合化プロジェクトに参加するにあたっての抱負

私達ヒトはどのような脳内システムを用いて、意識を立ち上げ、物事を深く洞察し、創造的な作品をつくり上げていくのだろうか。脳の神経細胞が基本素子となり、様々な人間の行動を創出していると考えられているが、その根幹を担う基礎原理が浮かび上がってこない。空間のスケールを飛び越えて成り立つ理論が確立されていないことが、脳のシステムを解明できない大きな問題点の一つだろう。次元を超えた統一理論の構築は現代物理学の主要なテーマであるが、その考察は生命の起源を記述する上でも避けては通れない問題である。脳の様々なレベルを包括したヒトの統合的な理解が、私達の哲学的考察をいっそう深め、文化的でかつ実用的な科学の発展をより充実させるものと思われる。

私はこれまで脳神経科学の実験的研究に従事し、主に行動薬理学、電気生理学及び非侵襲脳機能測定法を用いた研究に携わってきた。臨床で用いられている統合失調症治療薬をマウスに投与し、そのときに生じる行動の変化を錐体外路系運動障害を評価するテストで比較検討した(論文1,3)。ラットの脳幹急性スライスを用いて、聴覚神経系におけるセロトニンの興奮性シナプス前抑制のメカニズムをパッチクランプ法により検討し、カルシウム依存的な分子動態を強く示唆した(論文4)。また、医学部の音声・言語教室と協力し、fMRI(核磁気共鳴機能画像法)やEEG(脳波)を用いたヒト心理実験を行い、TMS(経頭蓋的磁気刺激法)を併用した言語中枢抑制の音声意味理解に対する影響を検討した。このようにミクロな分子レベルからマクロな個体レベルまでの繋がりに興味を持ち、生命の行動の成り立ちについてスケールを超えた観察を続けてきた。

特に、私はヒトの精神に影響すると考えられている脳内物質に着目して研究を遂行してきている。セロトニンやドーパミンなどの情報伝達修飾因子は、興奮や不安のような生理的感情だけでなく、うつ病や統合失調症などの疾患にも大きく関わっているため、ヒトの精神を考える上で重要になってくるものだ。これらの修飾因子の脳内バランスが崩れただけで、伝達情報の処理過程が激変するダイナミックな系が私達の心を支えている。脳神経活動が生み出す精神や意識を基盤として知性が築かれ、ヒトは文化や文明をつくり出してきた。多彩で複雑な神経活動が私達の知性を生み出しているのは間違いのないことと考え、それがヒトの起源を理解するための最大の焦点になると捉えている。

神経細胞が生み出す知性の起源はどこにあるのか。解剖学的には前頭前野と呼ばれる額のあたりの部分が重要であることが分かっている。しかし、その知性が実現するためには神経細胞がどのように振舞うべきであるのかは全く解明されていない。知性の座の存在が分かっても、知性が湧き上がる機構は見出されていないということだ。無数の神経細胞が創り上げる聡明な機能の実現には、細胞同士の相互作用が必要であると考えられている。とりわけ、神経細胞がネットワークを形成することで、細胞一つでは実現できない特殊な機能を発揮することができるのであろう。そんな機能を創発する基礎原理が報告される瞬間を楽しみにして、星の数ほどある原著論文に目を通す日々が続いている。

これまでに、実験科学的な原著論文で報告された神経生理学的データはまさに膨大である。今日もなお日進月歩で新しい知見が報告されている。これらのデータを個別に解釈したとしても、研究上非常に重要な情報が詳細に記載されており、私達の興味を惹きつける内容となっているのは事実である。私は、これらの膨大な学術情報の中から、ヒトの知性の起源に迫るためのヒントを見出せないものかと長い間模索してきた。分子同士の結合や細胞自身の機能が複合的に加算されゆく中で、最終的な行動として表出してくる現象の解明に繋げることができないかと考えていたのだ。

私はその解明の糸口の一つとして、情報生命科学(バイオインフォマティクス)という手法に可能性を感じ、大変興味を持った。そこで、潟Jナレッジの第一期アノテーターとして東京大学理学部辻井研究室のGENIAプロジェクトに参加し、カナレッジ代表取締役であった中江裕樹氏や同研究室の大田朋子氏の指導の下、現産業技術総合研究所研究員の安達成彦氏と共にゲノムネットの立ち上げに携わった。自然言語で記述された原著論文の中から遺伝子やタンパク質の情報を抽出し、それらの相互作用をアノテーションする作業を行ったのだ。自分の持つ細胞分子生物学的な知識を活用し、本プロジェクトの進行に貢献できたことを嬉しく思い、これが今後の自分の研究対象の幅を広げてくれる大きな契機となった。実験科学を通して得られた経験と知識から、情報科学的な理論研究を推し進め、生命をもう一歩深く洞察できるのではないかと期待を抱かせてくれた。

すでに学術論文によって報告された自然現象の中には、昨今の私達では想像もつかない新発見に繋がる可能性を秘めた宝石が多く散らばっているはずである。私は、分子レベルから個体レベルまでの神経科学的な知見をもとにし、これらのデータを情報科学的に統合し、最終的には新しい脳機能の発見を示唆できるような理論研究に着手したいと思っている。先人達が積み上げてきた知識を収集し、理論の本質を見落とさないように内容を整理し、シュミレーションなどを用いて妥当性を検討する。まずは、そのようなスタンスで研究生活を始めることができればと考えている。そして、神経生理学的な事実と相性のよい理論研究を推進し、精神や知性の解明を含めたヒトの統合的理解がよりいっそう進む駆動力として就労できることを望んでいる。私は今回の学術統合化プロジェクトに参加することで、このような自分の強い思いを満たすことができる最高の機会が得られるのではないかと感じている。

最後に、私は大学と産業界との連携に非常に興味がある。今年は東京大学産学連携本部が主催したアントレプレナー道場に参加し、私がリーダーとなった起業案で上位20チームに選ばれた。敢え無く最終選考には漏れてしまったが、大学の持つ膨大な知識を発信し、それにより社会を活性化させることの喜びを身を持って体験できた。大学側と産業界側の思考の違いを学ぶことで、社会全体を大きな視野で見渡すことができるようになり、国民が保持すべき本当の利益の追求に貢献できるのではないかと思う。また、科学教育者やサイエンスインタプリターのような媒介組織の発展に積極的に協力し、知的文化活動としての科学の社会への浸透に尽力したい。自分の研究活動が学術的な価値を持つのと同時に、産学界・教育界をも活性化させ、少しでも多くの人たちに知を還元できることを願ってやまない。


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