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2005年10月31日

返事の喜び

メルマガを発行して良かったなと思う瞬間は、返事のメールを頂いたときである。どんな言葉であれ、自分を応援してくれている人を感じると、心の底から喜びが湧いてくる。全く面識のない人からもメールが僕の手元に直接届く、これはインターネットがなかったら考えられないことかもしれない。そういう意味では、このネット社会に活躍の場所を与えられたことを感謝しなくてならないだろう。

実は新しいメルマガの構想が頭の中にできている。それを実現するためにはやはり時間が必要だ。一般の科学ファンの方から一線で活躍している研究者まで、幅広い層で満足してもらえるメルマガを目指す予定。分かりやすい研究の解説と、深くまで踏み込んだ議論を両立させることは非常に難しいところだが、その実現を目指し、サイエンスコミュニケーションの新しい形を開拓します!

知の統合-「知の編集」から育まれる「知の創造」-、しばらくは、これを自分のスローガンとして掲げ、ここ数年で自分がどれくらい社会に影響を与えることができるのか挑戦してみようと思う。

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2005年10月30日

半年ぶりのメルマガ

今日は久しぶりにメルマガを執筆した。なぜかというと、前回発行してから半年が経ってしまったからだ。実は半年以上、メルマガの発行がないと、そのメルマガは廃刊になってしまう仕組みになっているのだ。ということで、廃刊にはしたくないという消極的な理由で執筆したことには、心からお詫び申し上げます。半年後は滝を登る鯉のように進化したメルマガを提供できるようにしたいと思っています。

やはり、この精神的に追い込まれている状況というのはホントに厳しい。もう二度と博士課程を体験したくないと思わせる力に「怯えている」と言っても過言ではない。この状況を跳ね返すことで、逆に研究者として成長していくのだろう、と信じたい。日本の教育制度は人を二極化してしまうのではないかとふと思う。学生にかける圧力の調節をもう少しうまくかけられる教員はいないのだろうか。

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2005年10月29日

一神一体

僕は神を偶像化するのを嫌う。神を信じるかどうかは人によるところだろう。しかし、たとえ信仰している宗教がなくても、自分が操作できない領域には畏怖の念を抱き、その恐怖から免れようと人は絶対的な神という概念を作り出す。それは、基本的な人間の本能のように見える。何かに縋(すが)ることができる空想上の象徴をつくり上げることは、自分の精神を安定に保ち続ける、まさに心の拠り所になるのである。絶対的な理想を作ることで、自らの精神を鍛え上げていければなおよい。多くの慈悲深い人間が増えるに違いない。

しかし、宗教が引き起こす問題は根深い。宗教の対立による紛争やテロなど、多くの命を奪う事件も無くならない。それは、宗教の本質を理解していない原理主義者の偏りのある行動に問題があるのだろう。彼らの心の中には、揺る難い絶対神が存在し、彼らを支配しているのである。

そう、ライブはその感覚に近い。ライブ中、ステージに立っているアーチストは神になってしまうのである。多くの信者を従え、神は自分の好きな世界に彼らを召喚する。熱狂的になったファンは、心が奪われ、まさに狂信状態へ移行していくのだ。それはアイドルの語源そのもので、この精神状態はまさに偶像崇拝以外の何物でもない。神が一つになった瞬間を提供するのがライブやコンサートの醍醐味だと言ってもよい。そのような状態を、人間は快感として認知するのである。

僕も例外ではなかった。確かに気持ちがいいように思う、というより最高だ、じゃなきゃあんな絶叫など絶対にしない。あの吸心力には、正直言って敵わない、ブラックホール級である。吸い込まれたら二度と出て来れなくなる。僕は事象の地平線の手前で何とか引き返してきた感覚だ。

でも、僕にはあの気持ち良さがあまりに気持ち悪く、後味がいいものではなかった。もう僕の気質そのものなのかもしれないけれど、常に自分の状態を客観視してしまうがために、何かに狂うことができない。あらゆる周囲の状況から物事を多角的に判断するのがモットーになってしまっているのだ。

神を一つにすることは僕にはできない。そもそも神は数えられないはずだ。神は人の形をしておらず、その広がりも定義できないはずで、できなくていい。そう、神に輪郭はないのだ。

カエラちゃんは好きだ。これからも応援していきたい。けど、あのカエラ教の集団に身を置くことはもうご勘弁を。人を祀り上げることに不愉快さを覚えるから。 僕は sakusaku を見れるだけで十分満足です。

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2005年10月28日

ROCK ON

こんな間近で木村カエラを見ることができるとは思わなかった。もう目と鼻の先、カエラちゃんがこっちを見ていると思うとドキッとした。今でも彼女の躍動した笑顔が目に染み付いている。歌もうまいし、もう最高だよ。…実はなんと、今日は気晴らしも兼ねて、SHIBUYA-AX で行われた木村カエラのライブに行ってきたのだ。

始めからチケットを入手していたわけではなかった。何気なく検索したヤフーオークションで彼女のライブチケットが引っかかり、入札してみたのだ。定価を超えたらそれ以上の高値をつけることはしないと決めて、入札額の値を見守っていた。オークション終了間際、額に微妙な変動はあったが、大した競争も無く、そのままオークションは終わった。そう、僕は落札者になってしまったのだ。4200円のチケットが2600円に化けてしまったのは儚くも悲しい思いに掻き立てられた。僕にとってカエラちゃんはこれまでに無いほど魅力的な歌い手だと思うのに…。

さて、ライブハウスに行くなんていうのは実は初めてである。いわゆるコンサートや演奏会のように観覧席があるわけではなく、オールスタンディングなわけだ。とくに仕切りらしいものもないが、所々に手すりみたいなものがある。これがどんなに恐ろしいことであるのか、会場の前に着いた僕には全く想像もつかなかった。

さあ、開演、ステージを彩るロックな少女は、約2000人の観客を沸かせる。年甲斐もなく「カエラ~」と叫んでしまった、あの場じゃないと言えない、それほどライブというのは中毒的に盛り上がるのだ。一種の脳内報酬系が開放された状態といえよう。みんな麻薬中毒者のように熱狂的な行動をみせる。周りは見えない、みんなが見ているのは、木村カエラ唯一人である。

それが元凶の源だ。我を失った輩は、他人の迷惑を考えない。ライブハウスはその活動能力を最大限に引き出されたとき、そこを無法地帯と化すドライビングフォースを生み出す。あらゆる人間の行動は爆音に掻き消される。人は押し競饅頭、明らかに意図的に人を揺さ振っている人がいると思うほど掻き乱される。さらには、人の上を大玉送りのようになって、人が運ばれる。時には空から人が降って来るのである。全く自分がどうなるのか予測がつかない、自分の千鳥足の軌跡がカオスで記述できるかもしれない。そんなことを考えていたら、ホントに人が僕の頭の上に降ってきた!!…これは、強烈だった。しばらく痛みがひどくて動けなくなってしまった。もう、「お前ら最低!!」と本気で思った。

彼女の持ち歌はまだ全部で16曲しかないので、1時間半くらいでライブは終了。でも、これ以上は身体が持ちません、ライブってこんなに汗をかくのか、下手な運動より体力を消耗するのではないか。ライブ中、突き上げていた拳はもう筋肉痛で上がらなくなっているし、左側の後頭部を打ったので、麻痺ったかと思ったけど、視覚野だから大丈夫だろうと勝手に結論づけて帰ってきた。最高に汗臭い。シャツには金色のラメが至るところに散らばっていた。

でも、もうたぶんライブには行かない。詳しい理由は明日書くことにしよう。

もし彼女に興味があらば、こちらからPVが見れますが重いです。

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2005年10月27日

キャンパスカード

中央食堂で昼食を済ませた後、食堂の出口で、勧誘の女の子に捉まった。東京大学がDCカードと提携し、キャンパスカードというものを作ったらしいのだ。ICチップが内蔵されているクレジットカードで、学内の生協ではキャッシュレスで買い物ができたりする。海外旅行保険も2000万円まで補償されていて、年会費は永年無料だという。

「年会費無料でこれだけ保険がついているのは無いですよ」と言われ、ホントかどうか知らないけど、マスターカードは持っていなかったので加入することにした。現在持っている生協のTuoカードは卒業したら年会費を払わないといけないし、ちょうど切り替え時だと感じたわけだ。早速専用のテントの下で書類を記入することとなる。

で、この女の子、積極的にいろいろと話しかけてくる。もちろん記入項目を説明しながらなのだが、どんな研究しているのかだとか、駒場でも同じように勧誘しているんだとか、とても楽しそうに話している。仕事でそういう会話を身につけたのか、もともと楽しみながら仕事ができる子なのか分からないが、こっちもいらぬことをいろいろしゃべってしまったような気がする。

で、一通り書類を書き終わり、立ち去ろうとしたとき、「私、この携帯の番号に電話かけてもいいですか?」と聞いてきた。ん?それはどういう意味なんだ?勧誘の子はそんな仕事までするのか?それとも、これは新たな個人情報の収集詐欺?まさか東大生狩りを敢行しようとしているのでは?あまり深いことは考えない方がいいだろうか、カードの申込書ほど個人情報が裸になるものはないから、少し恐ろしくも感じた。

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2005年10月26日

意志の起源

自ら進んで何かを決定する意思はどこから生まれるのか。その起源の解明は未だ科学の土俵に上がりきっていない。意思決定に関わる脳内の活動領域が分かっても、どのような(神経)活動が意思を創出するかはブラックボックスの中だ。神経発火にある程度のパターンが組み込まれていることが最近の研究から分かってきたけど、そのパターンを生み出す推進力は何であるのか見当もつかないわけだ。

いまのところ「自分」がその神経発火を創り出していると言うしかないが、その「自分」はどこにいるのだろうか。「自分」は細胞という物質によって生まれたはずなのに、「自分」は物質ではないと多くの人は感じる。「自分」は身体の中にいるはずなのに、その居所が皆目見当もつかない。脳から「自分」の心が生まれるとしても、その心は科学の言葉で記述できるのだろうか。もっと命題をハッキリさせるならば、「どこまで心のことが分かれば、自意識を解明したと言えるのだろうか」。ここまで来ると、「自分」を定義づけることが困難になってくる。きっと今後何十年(何百年?)もこの議論は続くのだろう。最終的に「自分」が何であるか分かった気にならないまま、人生を終えるのだと思う。先人達と同じように…。

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2005年10月25日

まさかの体調不良

気候も涼しくなり、過ごしやすくなってきたが、こういうときに体調というものは崩れるもの。昨日は一日中頭痛に悩まされ、ほとんど動くことができなかった。今日になってずいぶん良くなったが、気を抜いたらぶり返すかもしれない。ここは踏ん張りどころだ、この遅れが致命的になるかもしれないし…。

そんな最中、実家から電話がかかってきてなんだと思ったら、いとこが12月に結婚するらしい。彼は僕より5つくらい年下だったような気がするが、もう結婚するのか、早いな~。これで母方のいとこは半分は結婚したかもしれない。これって取り残されているのだろうか。兎にも角にも、12月はお祝いに駆けつけようと思う。

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2005年10月23日

Z会

通信添削の代名詞といえば、進研ゼミとZ会だろうか。最近のZ会はPRの拡大もあってか、いろんなメディアでよく目にする機会が増えている。そんなZ会は密かに(?)予備校のような教室も運営している。大手3大予備校ほど大規模なものではないが、ブランド力で幅を利かせ、ある程度の実績を叩き出しているようだ。

実は、来年全く食えなくなってしまったら大変なので、大学受験予備校の講師にも2つほど応募していた。その中で一番早く筆記試験がZ会であって、実際にテストを受けてきたのだ。久しぶりに受験化学を解き、解答を書き込んだが、なんといっても腕が結構痛くなった。普段、文字はパソコンでしか打たなくなったし、試験といってもマーク式のものが多い。本格的な論述問題の解答に手を傷めそうになるのだ。とことん体力が失われているのだろうか、身体も鍛えなおさないといけないかな。

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2005年10月22日

神経センター

昨夜は国立・精神神経センターの木村先生に誘われ、新宿で飲み会をすることになった。神経科学総合研究所の岡戸先生も一緒だ。なぜ、そんなことになったかというと、木村先生が僕を雇いたいというのだ。正確に言えば、僕じゃなくてもいいと思う。とにかく電気生理ができる人が欲しいようなのだ。とりあえず、話を聞くだけということで、ウチの講師の先生も交えて話をすることになったわけなのである。

現在は東京理科大の博士課程の学生が来て電気生理を担当しているようなのだが、研究を進めるというよりかは、電気生理の技術を身につけようというだけで一杯一杯のようなのである。しかも理科大と神経センターとを行ったり来たりしているので、何をやっているのか把握できないような状態らしい。電気生理のセットアップを組むだけのお金はあるので、ちゃんとした人を一人雇って、イメージングと組み合わせようという魂胆なのだ。彼は硫化水素の生理学的機能を明らかにしたいようで、研究を軌道に乗せるため、本格的にパッチクランプができる人を求めているのだろう。確かに話としては悪くは無いと思う。

しかし、僕はもう誰かに雇われることに疲れている。もちろん、なんでも自分の好きなことできるのなら、どのような形態で働こうが何も問題は無いのだが、今の僕は他人のテーマに則って仕事をすることにかなりのストレスを感じるのだ。一方、そのような束縛された環境だからこそ生まれる芸術もあるかもしれない。しかし、今の僕にはそのような精神的踏ん張りがきかない状態なのだ。一度、自分の心をスッキリさせたい。もしかすると研究の世界に戻ってくることができなる可能性があるけれども、自分を突き動かす「なにか」に身を任せたい。彼の言葉を聞いても何も感慨に耽る要素が無かった。このまま、彼のところで働いても、最終的には彼に迷惑をかけてしまう。自分にとっても、相手にとってもプラスにならないことを敢えて選択する必要は無いだろう。下手に甘い道を進むと悔いが残る。一度きりの人生、それだからこそ常に命を懸けて、進路を選んでいきたい。

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2005年10月21日

幼稚園

今日、こんなラボ内メーリングリストが回ってきた。

1.ジャーナル

 最新刊のジャーナル・新聞は窓辺の本棚の上に並べる。
 その他のジャーナル・新聞は所定の場所にきちんと戻す。
 読みかけで放置しないこと。

2.食器・マグカップ

 急須・スプーンなどの食器類は使ったらただちに洗浄して所定の場所に戻すこと。
 マグカップは個人個人のものを使用し、使用し終わったら必ず洗浄して、しまうこと。セミナー室に置きっぱなしにするのは厳禁。
 共用のカップ類は来客用なので、個人の使用は禁止する。
 自分用のカップがない者は、支給するので、申し出ること。

これを遵守すれば、セミナー室の机上は常に何もない状態になるはずです。必ずご協力願います。


ここは、幼稚園なのか。子供の心を持ち続けることは大切だと思うが、こんなことを注意される集団に属していると思うとゾッとする。まあ、それでも論文が出ればいいという思考を持つ人がいるわけだから研究室なる空間はあな恐ろしい…。

投稿者 はるお : 23:35 | コメント (6) | トラックバック

2005年10月20日

渾身の力

集中しろ!何事もその仕事に集中しなければいいものはできない。新しいものを創造しようと思うなら、貪欲にその対象に全身全霊を委ねなければならない。疲れ果てて、身がボロボロになろうとも、何度でも這い上がるんだ。やればやるほど辛くて、孤独に苛まれるけれど、それに立ち向かうんだ。自分の渾身の力を一点に集中して、全てをたたき出すんだ。そして、自分を曲げることはするな、自分がこれだと信じたことを、そのまま推し続けていけばいい。自分の言葉で、自分自身を素直に表現すれば、後の結果は自然についてくる。過程を楽しめ!

上記の文章は自分に気合を入れるために殴り書いたので、多少語気が乱れております。

投稿者 はるお : 23:02 | コメント (65) | トラックバック

2005年10月19日

近頃いい夢を見ない。最近立て続けに変な夢を見て不快な思いをしたような気がする。どんな夢を見たかと言われても、もう憶えていないので、ここに書き出すことはできない。でも、とにかく胸が締め付けられるような感覚を毎晩のように感じたのは確かだ。

精神上の問題は睡眠に大きな影響を与えるように思う。うつ病患者などは不眠を訴える人が多い。僕の場合は睡眠が過多になることが頻繁に起こるが、これは心と身体が現実に戻りたくないからだと信じている(本気で)。もう仕事が嫌で嫌でしょうがないときは自分の全てが現実を受け止められなくなっているのだ。仕事だけならまだ良い。それ以外に自分の感情を左右する大きなファクターがある。きっと人間は生まれながらにしてこの苦痛と共に歩み続けなければならないのだ。そのような生来苦を持っているがゆえに、人間は快楽を求め、喜びを追求し続けるのであろう。人間の本性は誰もが目を瞑りたいおどろおどろしい得体の知れないものなのだ。

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2005年10月17日

理科の教員が教えること(化学編)

自然現象は概して複雑に見える。一見しただけでは、僕たちの理解力が及ばない脅威の対象として自然を捕らえてしまうかもしれない。しかし、こっそりと自然を垣間見てみよう。多くの現象が少ない基礎原理に則って振舞っていることがよく分かる。自然科学の教員はこの原理・法則を忠実に、そして本質を見逃さないよう次世代に伝えていかなければならない。自然への畏怖の念とその原理を発見した偉大な先人を尊ぶ気持ちと共に、自然の大切さを教えることが僕たちの使命であるように思う。

化学は物質の状態や反応を扱った科学だ。生命が物質からできている以上、我々に無縁であるものは一つもない。原子や分子の運動が基となって僕たちは活動していることを知れば、化学に興味を持つ子供は増えるだろう。化学がなぜ必要なのか、どのようにして化学は生まれたのか、化学を学ぶ上での動機付けから丁寧にこの学問への導入を達成することが一番重要だ。以後、受験対策の指導へ移行しても、この導入がしっかりしていれば、化学への関心が失われることは少ないだろう。もちろん、多くの講義の中で化学の面白さを伝えることを忘れてはならない。実生活において周りに広がる化学現象を振り返ったり、実用化されている技術について言及することは子供にとって最良のカンフル剤になるはずだ。受験が近づき、問題を解き進めるだけで時間がいっぱいになっても、根底の実力に差がつくことは必至だろう。さらには、大学入学後の学問に対する接し方も変わってくると思う。科学を考える上で、本当に必要な学力の養成を僕たちは行っていく努力をしなくはならない。

入試問題など所詮ヒトが作ったものだ。それが故に明確な解がある。僕ら自然科学に携わる者は、答えのない問題に立ち向かえる地力のある精神を子供達に養わせてあげなければならない。

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2005年10月16日

地震

パキスタンの地震の被害も拡大を辿る一途で、まだ完全な死傷者の数もはじき出されていない。ここ近年の自然災害としてはスマトラ沖地震による津波に次いで悲惨な結果を残すのは確実な様である。世界の至るところで、生死をかけた戦いが繰り広げられている中、関東の人々は震度4の地震に慄く。マグニチュードでいったら、エネルギー的にパキスタン地震の1000分の1以下であるのにだ。「地震で首都が壊滅」最近の自然災害の多さから、巨大地震的妄想も真実味が出てくるのだろうか。死傷者さえ出なければ、一回くらい東京が壊れてしまった方が、現代を生きている人にはいいのかもしれない。そしたら、復興するために、ニートはいなくなるし、そもそもその定義が意味を成さなくなる。これは全く持って現実的な話ではないが、それが今の問題を考える上で重要なことなのだろう。

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2005年10月15日

引越し

僕は引越しと縁が深い。今の研究室に入ったときも、一番最初にやった仕事は、研究室の引越しだった。もちろん、あまりやりたい仕事ではないが、引越しはその組織の基盤や仕組みを知るのにはよい勉強になる。たとえば、その研究室の引越しを例にとれば、その教室に必要なものや機械類の設定など、組織を動かすのに必要な初期条件が分かるのである。テクニカルな部分ではあるけれど、普段見えない部分を見ることで、日常の行動の根っこの部分で差がついてくるのだ。そのおかげで、僕は電気生理学手法の原理的理解もスムーズにいったし、手技の習得も圧倒的に他の研究室を凌駕することができるようになるのである。

今日は、いつも行っている薬局の引越しがあって、お昼過ぎからその作業に着手した。その作業過程で、必要の無いものがたくさん出てゴミも増えるが、こんなものも必要なのかという気付きもある。薬局という現場を一度解体してみると、その空間に、いつも見えないものがはっきりと映ったりする。それは、目薬の滅菌器の様な機械系のものもあれば、薬局開設に必要な手続きに代表される事務系のものだったり、たわいの無いものであるけれども、薬局を多角的な視点でとらえることができるようになる判断材料としては秀逸である。疲労困憊になりながら、引越し作業に携わったが、驚くほど脳内の編集作業も進んだのであった。

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2005年10月14日

空間と時間

竹内さんの講義が今日から「ホーキングの宇宙論」となり、今月から隔週6回で始まった。僕は現代物理学に関しては、アインシュタインから入ってしまったので、空間と時間は分離できないと思っていたが、ブラックホールを量子化する際には、空間と時間を分けて考えないとうまくいかないらしい。逆に量子力学から物理学を深く学んだ人は、空間:3次元、時間:1次元で考えるのが、スタンダードらしいから、どのような概念を持っているのかは科学哲学は大きく左右される。そもそも時間とは何なのか全く手がかりが無いのだから、空間と時間が本質的に同じものなのかどうかも分からない。僕たちは、空間に存在する複数の物質は同時に見ることができるが、時間が異なる物質同士を同時に見ることはできない。つまり、今の僕と1時間前の僕の状態を同時に見ることはできない。そう考えると、時間というのは何か特殊なものなのだと直感的に感じることができる。一体、時間とは何なのだろう。一体、何から時間は生まれるのだろう。超ひも理論やループ量子重力理論が、その謎を解き明かしてくれるのだろうか、それも今の僕には想像することができない。

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2005年10月13日

オリーブビレッジ

以前まで、学校の周りに深夜までやっている食堂は無かったのだが、最近、駅の近くに「オーリブビレッジ」という名の食堂ができた。深夜の2時まで営業しているので、今日も帰り際に晩飯をそこで食べてきた。この食堂、全くといいほど洗練されてないのが特徴、メニューも、生姜焼きとハンバーグと鳥の唐揚げがメインで、この3種類を組み合わせてメニューの数を増やしている。そして、味が全て濃い、僕は味が濃いとご飯が進むので、大盛りにしてもらったりする。薄味が好きな人は絶対に口に合わないだろう。けど、500円で定食が食べられるから学生には重宝するのかな。今時の学生事情は分からないけど…。ちなみに、ここは人件費も抑えている感じがプンプンする。そんな社会性が露出している現場での食事に寂しさを感じながらも、家族のことを思い出して、変に落ち着いたりするのだ。

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2005年10月12日

NPO起業か?

そういえば、アントレプレナー道場の結果がもう出ていて、僕のビジネスプランは最後のステージに進めなかった。ファイナルに進出していれば、先週の連休は合宿を行っていたことになる。実際に残っているチームはメンターと呼ばれる指導者の下、多くのことを学んだに違いない、最後まで残れなくてホントに悔しかったし、残念な気持ちでいっぱいだ。

僕のプランの問題点は、科学啓蒙を推進するための人材をどのように確保するかだった。たとえ学位を取っていても、一般の人に分かりやすく科学の内容を伝えることはできないだろう。科学的根拠の正当性が真に評価できる体制作りはとても難しいことなのだ。科学も文化の一つであるが、信憑性が問われる、しかしその一方、誇張であっても人の興味を引き出すような表現も必要だ。科学の説明はそのバランスが難しい。優秀なサイエンスライターはそのバランスが抜群にいい。

起業をあきらめるわけではない。アドバイスとして非営利の方がいいのではないかという意見もあった。もうしばらく時間はかかるが、真剣に続きを考えよう。学位が取れてからだけど…。

(おまけ)以下、僕のビジネスプランの要約を載せておきます。

①経営理念
(1)一般の人が容易に科学に接することができる機会を増やし、科学に対する物理的・精神的障壁を低くした体系的な科学教育システムを構築する。
(2)科学的に信頼の持てる情報を配信し、根拠のある情報を使用した快適な生活を市民の方々に届ける。

②事業概要
(1)自然科学博士号取得者を科学書評価委員として採用し、科学解説書や専門書の厳正な書評を系統立ててホームページ上で公開する。科学者やサイエンスライターの書いた科学書を評価委員が徹底的に吟味し、評価の高い科学解説書においては、著者による講義の導入を平行して行う。これらの科学解説・講義は手始めにインターネット上で行い、需要があれば書籍に即した生講義の提供を想定している。あらゆる科学分野で体系的な知識の構造化を達成し、正当な科学情報評価制度を確立する。
(2)博士号取得者の利を用いて、サイエンスコンテンツのアドバイザリーシステムを構築する。テレビ特集、ニュース、雑誌などで展開される健康、医療、工学、知的財産等多岐にわたるサイエンスコンテンツに関してアドバイザリーファームとして機能するような集団をつくり上げる。信頼性の高い科学情報提供会社として国内唯一無二となる。

③事業目標
(1)科学情報評価システムの国内ブランドを達成し、サイエンスセクション情報信頼精度国内No1となる。
(2)サイエンスメディエーター(科学指南者)による「科学者-一般市民」間のコミュニケーションの円滑化を通して、科学教育団体としての信用を勝ち取る。

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2005年10月11日

朝食の喜び

今日から、普段どおり、朝起きて24時間のサイクルで生活するスタイルに戻した。久しぶりに、朝食を作ってホッとする。無理に急いで家を出ることはしたくない。こういう時の流れ方を大切にしよう。圧力が少しでも軽減するように工夫しなくちゃ。まだ先は長い。

前の生活は身体にも悪かった。自分の血圧が測定しても無いのに高いことが実感できる。それに伴って呼吸も荒くなる。だから胸が痛くて、息苦しさが残ったりするのだ。やっぱり徹夜はやめたほうがいい、身体は機械ではないことが身に沁みて分かる。

実験も再開、教授から求められたデータを取るためだ。最終的に彼は僕を修了させてくれるのか、これから何を要求してくるのか耳をふさぎたい思いだ。雑誌に投稿する論文も素直に受理されればいいけど、イチャモンつけられたら、データをまとめるのが長引きそうだ…。僕の卒業時期は審査員(教授を含む)がどれだけ僕に要求してくるかで決まる。余計なことは言わないでくれ…。

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2005年10月10日

終わりなき戦い

ここ数日、太陽の周期とまったく関係なく、論文を書くことにいそしんできたが、ここにきてブレイクダウン…。この調子でやっていたら本当に人間でなくなってしまう。やらなくてはいけないことは、自分の中では8割方終わった。が、強制的に要求されるものが続々やってくることは覚悟している。

今年度の博士課程修了は、本当にギリギリでの戦いになると思う。3月に学位を取れればラッキーという気構えでいないと圧力に潰される。もちろん、それに向かって全力投球するのだが、少しくらいずれ込んでも大したこと無いと思うように心の準備をしておかなければならない。おばあちゃん、正規の修了年限で必ず学位を取ると約束したのに、遅れたらごめん。実は、これを言うのが一番辛い…。

なんでこんなに必死になっているのだろう。本当はのんびり生きたい種族だから、今のような現象に対応できない。学問は面白い!、でも強制されたら面白いものも、一瞬にして色あせてしまう。ゆとり教育は失敗したが、それは自発的に子供を学ばせる環境が整わなかったことに起因するのだろう。結局大人が悪いのだ、周りのことに興味を持たせることができるような体制にならなかったから…。で、また面白くない授業が学校で増えるのだろうか、この失敗から学ぶべきことはたくさんあると思う。学校の教員はそれを意識して子供(学生)と接して欲しい。

ホントは誰だってゆとりを持って勉強したいし、趣味を楽しみたい。でも、ゆっくり自分の時間を持つっていうのは幻想に過ぎないのか。その根本問題は、学歴社会や資本主義を追求している現代ならではなのかもしれない。仕事が楽しくて、それで飯を食っていける人は、やはり少ない。科学者は、そうでもないように思われがちだが、そんなこともない。現代科学を仕事にして、趣味を楽しんだっていいじゃないか。でも、趣味が十分に楽しめるほど、実験科学の仕事量は半端なもんじゃない。

今日は愚痴っぽくていけない。今、教授と話してきた後で、少し凹んでいるのです。とりあえず、今はまだ戦わなくてはいけない。そうやって生きることは動物の宿命なのか。安息を求めながらも戦いつづけなければいけない環境は自然界では当たり前なのだから…。

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2005年10月06日

あと1週間

今日と明日は教授が生理学研究所に行っているので、ラボにはいない。彼が帰ってくるまでに、キリがいいところまで仕上げておいた方がいいだろう。明日帰ってきたときにいい印象を与えるに越したことは無いし。あと1週間で終わる感覚がつかめない。もしかたら終わらないじゃないかという不安が多大にある。その一方、無事アクセプトされて安堵の気持ちに浸っている日が来ることも期待している。ホントに今は目の前の仕事を只管に進めていくしかないみたいだ。

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2005年10月03日

赤ペン先生

今週は赤ペン先生との戦いが続く。論文書いては、直され、書いては、直されの繰り返し、自分の書いた文章が跡形も残らないというのが、彼の添削スタイル。確かに僕の英語は拙いから、それが妥当な扱いだと思うけれども、さすがにコテンパンに書き直されるとめげる。それでも、そうやって面倒見てくれるのだから感謝しなくてはいけないな。もうこうなったら、書いて書いて書きまくるぞ~!!

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2005年10月02日

高校からの電話

私立高校の適性検査が散々な結果に終わっていたにも関わらず、区内の学校から非常勤講師の依頼が来てびっくりした。そんなにトントンと進むものなのかと思ったが、やはり罠があった。来年度からの採用ではなく、今学期急に化学の先生が必要らしい。つまり今年度いっぱいという契約なのだ。さすがに今は忙しすぎる、もったいなくも思ったが丁重にお断りすることにした。次回オファーが来るのはいつになることやら。気長に待つことにしよう。

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