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2006年08月29日

運動不足の代償

週末、御殿下記念館(本郷にある運動施設)でバスケットボールをしました。10年ぶりくらいでしょうか、バスケをするのは。ハードですよね、このスポーツ。とにかくゲーム中は走り回っていないといけないわけで…。そして、ボールのハンドリング力も問われます。興奮しているとボールがキープできないものなのです。スポーツは冷静さも必要不可欠。むしろ、どれだけ冷静でいられるかが勝負なのかもしれません。

で、僕はあっけなく興奮して、右手中指を突指しました。しかも、一試合目で突指するなんて、しょうもない奴です。しかも、しばらく痛いのに気付きませんでした。興奮しすぎです…。けど、最終的には、全試合に出てしまいましたけど…。

月曜日、朝一で整形外科に行き、指を固定してもらいました。右手だから何をするにも不便です、利き手ですからね。キーボードも、よっちらよっちら打っています。「K」と「I」が打てないと、かなりの率で間違えます。「K」と「I」を打つために、ホームポジションをずらして、その後間違うみたいな…。

でも、一番辛いのは、食事の時に箸がちゃんと持てないことです。全然箸が言うことを聞いてくれません。食事している姿が行儀悪く見えてしまうので、早いところ添え木を外したいものです。
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投稿者 はるお : 00:46 | コメント (80) | トラックバック

2006年08月25日

富士山登頂!

8月20・21日で富士山へ登ってきました。その記録を思い出と共に綴ってみましたが、長いようでしたら、斜め読みしてください。


トンネルを抜けるとそこは雨でした。
峠をくぐり、静岡県に足を踏み入れた瞬間に、僕達は大雨に見舞われました。これから、本当に富士山に登れるんだろうかと不安に襲われます。けれど、そんなことをあっという間に忘れさせてしまうほど、雨音は静かになって行きました。富士山スカイラインに入っても、晴れてこそいないものの、雨は降っていません。5合目(2400m)にも時間通り着きそうだし、上々の出だしが実現できることを夢見ていました。もちろん、そう簡単には事が運ばないのが山登りであり、人生なわけなのですが…。

まず、富士宮口新5合目の駐車場が満車であることを、麓で告げられます。最悪の場合、5合目から3kmほど下って、道路沿いに車を止めることになりそうです。当日は日曜日、土曜日からの登山客と日曜日の日帰り客で、5合目はごった返しているようです。しかし、5合目に向かっている最中に気付くことは、対向車線を走る車が多いことでした。もしや昨日の登山客が下山を始めているのではないかという期待が持てます。そうなら、ちょうど駐車場のスペースが空いたところに入れてもらえるかもしれない。僕達以外もきっとそんな妄想を描きながら、5合目に車を向かわせていたと思います。そして、5合目まで車を転がしていけば、そんな妄想など打ち砕かれる予定でした。が、一つの妄想が現実となります。登山口近くの駐車スペースが空き始めました。僕達は、このあと待ち受ける試練など思い描くこともせず、甘んじてその幸運を受け入れたのです。
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食堂でお昼ご飯を軽くとって、さて出発です。富士山登山の必需品、それはあの「金剛杖」です。この金剛杖は、6合目、7合目と上がって行くたびに、その山小屋で焼印を押してくれます。登頂した満足感を得るためにも必須のものでしょう。もちろん、市販の登山用ステッキ方が軽いし、実用性も高いですが、それでも、富士登山といえば、僕的にはこれなわけです。

満を持して、いざ登山口へ向かおうと5合目の食堂を出ようとしたら、そこに見えるのは大きな大きな雨粒でした。愕然としました。出鼻を挫かれるとはまさにこのことです。しばし、同僚と二人して呆然としてしまいました。雨が止むまで待っていたら、いつ出発できるか分かりませんから、決断しなくてはなりません。行くべきか、行かぬべきか…。

僕達は雨具を身につけて登り始めました。前後に登山をしている人が見当たりませんが、もう後には引けません。僕達は霧で前方の視界がよく見えない中、傾斜の反発を一つ一つ跳ね返す行為を選んだのです。最悪のスタートにお先真っ暗という表現がピッタリでした。まさしく文字通り「五里霧中」、山登りも人生もまったく同じものであることを、こうやって突きつけられるわけです。それでも歩みを止めないで、今いる自分の地点を確認しながら、一歩一歩進んで行くのです。

30分くらい歩いたところで6合目に着きました。6合目までなら子供の時一度来たことがあります。その時は登山口が河口湖側だったので、様子はまるで違いますが、ここまでは結構すんなり来れるものなのです。歩いた距離も、上がった標高も大したことはない。富士登山はこれからが本番なのです。身を引き締める思いで、6合目の焼印を押してもらいました。なんとなく元気が出ます。

やはりここから登山道が急になり始めます。しかも、先がよく見えないから、いつ7合目に着くのかまったく予想ができません。突然の山の険しさに精神的に追い込まれます。しかもゴール地点が予測できないことが不安をより掻き立てるのです。しかし、幸いなことに雨脚が徐々に弱くなってきました。霧は晴れませんが、不安材料が一つでも減ってくると、気力は保てます。実は、登りを通して、この6~7合目の登山が一番厳しいように感じました。

ようやくの思いで新7合目に到着しました。さらに霧も晴れてきて心の中に希望が芽生えます。次の日の朝は御来光を見るのだから、晴れてくれなくては困るのです。しかも、晴れることを見越して、今日来ているわけですから、なんとか思い通りに事が進んでくれないかと期待しているのです。そう簡単に思い通りにはなりませんが、ちゃんと計画を立ててきていますし、少しはいい思いをしたいものなのですね。強欲なのが人間です…。

が、そう簡単に霧がすっかり晴れることはありません。雨は落ち着きましたが、霧はかかったり、晴れたりの繰り返し。山頂の方がどうなっているのか全く想像もつきません。ただただ足元を見て、小さな一歩を積み重ねて行くしかないのです。新7合目の次は、新8合目だと思いました。普通、7合目の次は8合目ですからね。しかし、次の山小屋に書いてあった標識は、「元祖7合目」でした。300m近く標高的には登ってきたのに、また「7合目」かい。これの精神的ショックはかなり大きかったです。いや、正直言って、これは「騙し」のレベルなのではないかと疑ってしまいました。この「何合目」ってどうやって決めているのでしょう。全く以って謎です。でも、そんな疑問を解決しようとする力がこの時は湧いてきませんでした。
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この辺りに来ると、あまり植物も生えていません。虫も飛んでいません。全くないわけはないのですが、やはり、生物が生きていけるような環境ではなくなってきました。それでも、生きている生命体がいるのだから、生きることは手段ではないことを感じてしまうのでした。なぜ自己組織化を推進する物質がこの世にはできてしまったのでしょう。罪ですね~、地球は。

3250m、ようやく富士宮口の8合目に到着しました。大分登ってきました。ここまで来ると雲の上です。日が西に傾いていますが、霧の心配もなくなり、明日の御来光に期待が持てる天気になってきました。あとは、御殿場口の8合目に廻り、赤岩八号館で休憩です。着いたのが6時過ぎ、5合目登山口から4時間半かかったことになります。普段運動をしていない僕らにしては、上々の登りだったのではないでしょうか。

山小屋はまさしく山小屋でした。本当に雑魚寝できるだけです。水や食料をここまで持ってくるだけでも大変でしょう。食事があるだけ助かります。3300mともなると高山病にかかります。でも、僕は何ともありませんでした。子供の頃小児喘息で、酸素の供給量が足りなくなる事態を幾度となく経験したからでしょうか。睡眠は浅かったですが、それだけで済んだのだから自分の身体に感謝しないといけないのかもしれません。さあ、明日は2時半起きです。

真っ暗です。当たり前なのですが、明かりなどありません。僕は事前にベッドライトを購入していたので、それを頭につけて、いざ山頂に出発です。とにかく、足元しか見えません。しかし、上空は満天の星空です。これは期待できます。8合目から先は、全くといいほど標識はなく、9合目の表示もありませんでした。いつ山頂に着くのか不安になりながらも、ひたすらに前へ進みます。4時も過ぎると随分明るくなってきました。山頂も何となく視野に入ってきました。もう行くしかないのです。ここまできて、御来光を逃すわけにはいかないのです。周りの険しさは視界に入りません。ひたすらにゴールだけを目指して、突き進んでいきました。

そして、ついに富士山登頂!御来光の時間にも間に合いました。雲の隙間から昇ってくる太陽がなんとも幻想的です。見下ろせば、そこには途方もないほどの雲海が広がっています。登ってきてよかった、そう思えた瞬間でした。自然界にとっては当たり前のことなのに、そんな自然を見て感動してしまう自分が少し寂しい気もします。しかし、こういう自然を見ることができる機会が与えられただけでも、今日という日に感謝したくなりました。自然は厳しい、自然を支配できるはずもない、だから、僕らはその自然を受け入れなければなりません。最終的に逃げられないのが自然だとも思いました。僕らは自然の一部であり、それ以上でも、それ以下の存在でもないのです。ただただ自然に過ぎないのです。自然を愛することしか僕にはできないし、それでいいのだと思いました。
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御来光を無事拝んだ後は、山頂の記念碑の前で記念撮影。ここだけは人に頼んで二人で写真に納まることができました。剣が峰、3776mを登りきりました!かなりの充実感に心が落ち着きを取り戻しました。金剛杖には富士登頂の焼印を押してもらい、いわゆる達成感というものを久しぶりに感じたのでした。普段、研究みたいに終わりのないことをやっていると、こういう達成感の味わいを忘れてしまいます。こういう体験は次の行動にやる気を与えてくれる僕らの原動力となってくれます。登山は確かに辛いけれども、その達成感を味わうことで、自分に自信を与えることができるのかもしれません。その達成感は辛さを感じている時に比べると、あまりに短い出来事だけれど、その一瞬が人の心を動かすのでしょうね。なかなかに、いい思い出になりそうです。
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投稿者 はるお : 00:58 | コメント (110) | トラックバック

2006年08月20日

富士山へ

今日はこれから富士山に登ってきます。もちろん、目指すのは3776mの富士山頂です。初めての富士山登山に不安はあるものの、楽しく登ってこれればと思います。きっかけは、「夏は苦行でしょ」という意味不明な発想でした。苦行の代名詞といえば登山、という安易な考えから富士山に挑戦することになったのです。アルプスほどは辛くないかなという打算的な考えも盛り込まれています。でも、きっと富士山だってそんなに甘くないんでしょうね。帰宅後、どのような感想を持つのか自分自身も楽しみです。もしかしたら登山にはまってしまうかもしれません。

昨日は、友達が出ているマンドリンの演奏会を聞きにいきました。久しぶりの演奏会、かなり熱い演奏に大興奮でした。またステージに立って、楽器を弾きたいという気持ちに傾いたことは否めません。合奏をしている人たちの表情がとても素敵でした。歳をとっても、学生の時のような感動は生むことができるのだなと再確認。僕もまだまだあきらめず、いろんなことに挑戦して行こうと思います。結局のところ、自分をどのように表現していくかが、一生の課題になるんだなと痛感したのでした。

投稿者 はるお : 08:26 | コメント (125) | トラックバック

2006年08月14日

「ウチ」のあるところ

お盆ということで、母親の実家に行きましたが、自分の居場所があるように感じませんでした。僕の基礎的人格に彼らが関わっていることは確かなはずですが、僕が受け入れられる要素がないのではないかと思うわけです。それは、僕に原因があるということも分かっています。僕は明らかに彼らが怖いのです。だから、真っ当に話すことさえできません。彼らの話をウンウンと聞くのが精一杯で、自分の意見を言うことなどできるはずもありません。それは、子供の頃から感じていた恐怖を拭い去ることができないからです。

彼らは別に僕に危害を与えるわけではないのです。子供の頃は、いろいろ遊んでくれたし、お小遣いもくれたし、客観的に見たら、可愛がられているように見えたはずです。でも、僕にとって「ウチ」以外のものは、全て恐怖の対象でした。学校もそう、友達もそう、そして親戚もそうでした。見慣れないものは怖くて近寄りたくなかったのです。学校だって行きたくて行っていたわけではありません。友達と遊ぶのも一部の友達を除いて、みんなで遊ぶという作業が苦手でした。そして、親戚は見知らぬ大人ばかり、なぜ僕のことを褒めたりするのか、意味が分かりませんでした。子供の頃に恐怖を覚えた領域は、今の僕にとっても恐怖の場所に変わりないのです。昔の記憶が僕を蝕んで行く数少ない領域なのです。

今は、知らないところの方が断然に安心します。新しいところの方が、自分をマッサラな状態から始めることができるような気がするからです。変に昔の記憶が残っている場所や、昔ながらの友達の方が怖くて仕方ありません。今の僕はどんどん新しい場所や人を求めて歩み続けています。新しい刺激は僕をウンと成長させてくれます。過去のしがらみがない自由な未来を開拓することが、今の僕の仕事といっても過言ではありません。それが自分の最終的な「ウチ」をつくることにつながるような気がするのです。きっと、そこに新しい家族の安らぎがあるような気がするのです。

投稿者 はるお : 01:21 | コメント (69) | トラックバック

2006年08月07日

友達以上家族未満

「友達以上恋人未満」という言葉があります。男女関係でよく使われる言葉でしょう。友達にしては、仲が良すぎる感じがするけど、恋人のような接触はない状態でしょうか。その後、恋人になることもあるかもしれませんし、ずっと友達のままかもしれません。いい状態なのかどうかもよく分かりません。特に当事者はやきもきした気持ちが抑えられなくて、つらい思いに苛(さいな)まれるでしょう。白黒ハッキリさせたいと思うのが、若者の通常心理のように思います。人間は不安定な状態が嫌いなのですね、それは、人間(というか生命)そのものが不安定なシステムだからかもしれません。

しかし、その不安定さが人間らしさのように思います。不安定だから生きているのです。生きているから不安定なのかもしれませんが、この際、厳密な因果関係は無視しましょう。人間の欲求もエントロピーが高くなる方向に向かうことが自然です。それなら、「死にたい」という欲求が最も強くなるのが理論的ですが、僕らは「生きている」ので、「生きなければならない」という前提条件が暗黙的に成り立っています。「生きている」中で、自分が最も落ち着いていられるところ、一番安心していられるところ、人間はそういう場所を見つけるために、恋愛関係を含めた種々の活動を行います。生きていることは不安定ですから、「安全地帯」を探すことは、生命の安らぎを得るうえで必須のものとなります。

その一方で、人間の知的活動は、秩序さを好むものでした。何かしらの動作をするのにも、計画を立てて準備をして、物事がうまく行くように計算したりします。それが大規模なものになれば、機械や建築物など作成するだけでも労力を費やすようなものとして大成し、文明の発達を支えました。それは、自らの不安定さを増大させる、一見、頓珍漢な活動です。しかし、エントロピーの低い整理整頓された環境を自ら作り出すことで、人間が生きやすい自適空間を生んだわけです。エントロピーが低いもの同士は相性がいいのかもしれません。

自分自身は不安定なシステムであるから、安定を望むのに、その安定のために不安定を作り出す。なんとも儚く、奇妙な行動を取るのが人間のように思います。自分でも訳が分からない不思議な感触があります。そして、それを強く実感するような関係性を見つけました。

「友達以上家族未満」こんな関係がこの世に存在するとは思いませんでした。本当は「家族」のような信頼関係があって、「家族」のように安全地帯となりうる仲なのだが、「家族」という見かけ上の形をつくらないという関係性です。これは、「家族」という最も安心できる関係を見かけの上で破壊しています。でも、「友達」とか「恋人」とか、そういう仲をはるかに凌駕している以上、本当の「家族」だという絆を感じずにはいられません。「地縁」や「血縁」という言葉が無意味に思えるほど、その人との「縁」を深く感じずに入られない、そんな関係性です。僕の中で一生「安全地帯」としてあり続ける人が、「家族」ではなく、はるか遠くの街で生きている。そんな「友達」でも「家族」でもない究極の不安定さに、脳内麻薬が大放出しています。だって、その内部には、究極の精神的安定が潜んでいるのですよ。

自分自身は不安定なシステムであるから、安定を望むのに、その安定のために不安定を作り出す。理屈で人間を説明することは、まだまだできないようです…。

投稿者 はるお : 22:30 | コメント (183) | トラックバック

2006年08月02日

What's Manganese

研究のために論文を読んでいたら、"Manganese"という単語を発見しました。 "Japanese" でもなく "Chinese" でもなく、 "Manganese" です。日本語にしたら、「マンガ人」です。こんな単語が学術論文に載っているなんてビックリですね。スラングを掲載している Urban Dictionary によると、

"Manganese"
noun, plural the Manganese
used in Japanese BBSs to refer to foreigners who are enthusiasts of manga and waste time by reading manga and/or watching anime, and whose speech and behavior are mangatic; Manga otaku

「マンガ人」
名詞、単複同形
日本用掲示板でよく使われ、マンガに熱狂的で、マンガを読んだり/アニメを見たりするのに時間を費やす外国人を指す。また、彼らの言動はマンガ的である。マンガオタク。

この単語が出てきたのは、"Manganese-enhanced MRI"のところです。そうなると、意味は、「マンガ人が増強するMRI(核磁気共鳴画像)」ですね。MRIはマンガ人によって、素晴らしく測定感度が上がるようです。今後、マンガ人は脳画像を撮る時に重宝されるようになるかもしれません…。

え~、だんだん、つらくなってきました。答えはこちらからどうぞ。

投稿者 はるお : 01:36 | コメント (172) | トラックバック