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2005年01月31日

研究の目的

いつものように、月曜日は研究室のセミナーです。午前中は自分達の研究経過を報告する Progress Report なるものをします。

研究をやる動機とか目的とかって何でもいいと僕は思っています。自分にやりたいことがあるなら、それに向かって研究することになんら文句はありません。しかし、研究を遂行するにあたって、具体的な問題設定をすることは大切です。それが分かっていない学生が、まだウチの研究室にはいるようです。

人は何のために生きているかっていう問題に関しては無限に答えがあると思います。特に答えを設定する必要もないでしょう。自分という生命がなぜか存在しているのです。自分が生まれた生物学的目的は特に無いような気がします。

しかし、僕らの細胞は生きるために機能しています。そう、細胞の機能は全て自らが個体として生きるための活動なのです。生きること自体が細胞の目的となってしまっているわけです。だからこそ、生理学の分野では、研究の目的を明確に設定することができるはずです。解くべき問題を設定して、想定している仮説を掲げ、焦点がずれないように確固たる姿勢で研究する。それが最終的には個体を守るための医学に結びついていくのではないでしょうか。

ただ、こんなことをやったら、こんな結果が出ました的研究は純粋に知的な面白さも失っています。もちろん、息抜きも必要ですし、意外な大発見もあるかもしれませんが、プロの研究者になるなら、解明する問題の焦点をぼやけさせない事が、最も大切な意識になるんだと思います。何を明らかにしたいのか、そのためにはどのようなアプローチを取ればいいのかを考え惜しむ必要はないでしょう。そうやって、常に自分にも言い聞かせています。

投稿者 はるお : 00:41 | コメント (93)

2005年01月30日

お化け階段

根津図書館で借りた本を返そうと思って、お化け階段を通っていったら、なんと階段の幅が倍になっていた!!あの狭くて、暗い雰囲気が好きだったのに、新しくできた部分の階段は、なんと綺麗で画一的なことか。お化け階段を台無しにしたのは、近くにマンションができるかららしいが、まさかこんなに雰囲気を壊してしまうとは思わなかった…。実用的なら何でもいいってもんじゃないだろ…。

投稿者 はるお : 20:43 | コメント (73)

2005年01月29日

山の手と下町

東京には山手線という環状線が走っていますが、ふと、"山の手"ってどこだろうと思い、調べてみました。

「市街地のうち、高台の地区。東京では東京湾岸の低地が隆起し始める武蔵野台地の東縁以西、すなわち、四谷・青山・市ヶ谷・小石川・本郷あたりをいう。⇔下町」(大辞林 第二版)

そうか、確かに本郷は高台になっている。どこから来るにも坂を上らないといけないのが苦だったりするのだが、それがつまり「山」ということらしい。その反意語が"下町"だとは恥ずかしながら知らなかった。

「都市の市街地のうち、低地にある地区。主に商工業者などが多く住んでいる町。東京では東京湾側に近い下谷・浅草・神田・日本橋・深川などの地域をいう。⇔山の手」

ということは、東京-上野間を南北に走っている山手線を境にして、その西側が"山の手"、東側が"下町"となるわけか。山手線が囲んでいる地域が"山の手"なわけですね。それにしても、大きく囲いすぎているな~。

投稿者 はるお : 01:53 | コメント (81)

2005年01月28日

実在論と実証論

どうも僕は実証論的な科学の方が好きらしい。でも、そんなことを言っていると、ますます役に立ちそうも無いことに手を染めてしまうのではないかと畏怖の念も出ています。

実証論というのは、具体的な「モノ」を扱わないで、理論だけで現象を記述することです。その現象を起こさせる物質的基盤はどうでもいいということになります。量子力学のコペンハーゲン解釈やホーキングの宇宙論などが、そういう立場にあります。

一方、実在論とは、「モノ」にこだわります。今の生物学は明らかに実在論的な科学手法が取られていて、分子生物学を基盤とした還元主義が、医学に貢献しています。

でも、僕は1960年くらいの神経生理学が好きです。イオンチャンネルも、受容体も、情報伝達物質も分かっていなかった時代です。細胞の機能を「モノ」で説明できなかった時代に、理論と数式を駆使して現象を記述していきました。もちろん、当時の人たちは実体を掴みたくてしょうがなかったんだとは思いますが、僕は彼らの仕事にグッと惹かれるのです。

そして現代、ゲノムが解読された時代となり、人は生命現象を全て物質で説明しようとします。しかし、「モノ」が分かれば分かるほど、僕の心は冷めていくのです。生命がブラックボックスのままでいいとは思いませんが、生きているという「状態」を説明するためには、もっと多角的な見解をもって、議論を深めていくべきなんじゃないかと思ったりするのです。

投稿者 はるお : 22:46 | コメント (103)

2005年01月27日

相補的な関係

やはり、人間には能力的に片寄りがあって、それが自然なことなんだろうなと思う。ある日、何でもできる人間に出会ったら、僕は不気味さすら感じてしまうのかもしれない。

人間は何かができると別の何かができない。そんなことをいつも体感している。その理由をしばらく考えていたら、ふと、こんなことを思いついた。「自分の出来ないことは、今自分の出来ることで補おうという摂理が働くのでないだろうか。」

天才には、きっと極端に人よりできないものがある。アインシュタインの会話能力に乏しさがあったことは有名だけれども、彼(の脳)はそれを克服しようと、最大限に想像力を発達させてきたのではないか。大きく欠けた能力を別の能力で補うことで、尋常ではない能力の発達が実現しているような気がするのです。

投稿者 はるお : 01:19 | コメント (118)

2005年01月26日

嫌なこと

大学で研究していても、嫌なことはたくさんあります。特に研究バカの人と付き合うのには、かなりの体力を要すのです。僕の実験ノートを勝手に自分のところへ持って行った人とかいますから。でも、彼は、なぜ僕のノートを持っているか分からないと答えます。こちとら、実験ノートが無くなって、果てしなく探し疲れているというのに。今日はここ最近で最もイライラした一日でした。

投稿者 はるお : 01:39 | コメント (82)

2005年01月25日

スギ花粉

今春のスギ花粉の飛散量は平年の2倍ということで、花粉症じゃない人でも注意が必要そうですよね。僕は通年性のアレルギー鼻炎なので、春になると悪化するという感覚はないのですが、いつ自分が花粉症になるとも分かりません。できるだけ、花粉を吸い込まないように対策をしようかとは思っています。父親はずいぶん長いこと花粉症に悩まされているからな~。

投稿者 はるお : 23:45 | コメント (108)

2005年01月24日

ドライとウェット

一般的に研究を二種類に分けて、「ドライ」とか「ウェット」とか言ったりします。ドライとはいわゆる理論家がペンと紙(今は主にコンピューター)だけを使って行う研究で、実験をするといっても、コンピューターがする計算機実験やシュミレーションが主です。一方ウェットは生の標本を用いて、観察をし、その観察事実から結論を導き出す研究です。実験は肉体労働といってもいいかもしれません。

科学が未熟ながらも頭打ちになりそうな現代において、もう「ドライ」とか「ウェット」とかと分けている場合ではありません。自然界に現れる現象を記述するのに、学問を細分化するだけでは、もう金字塔をうち立てることは出来ない気がします。細分化した知識をもう一度統合する視野が必要です。進む道は険しそうですが、きっと面白いことがその先に待っているのではないでしょうか。

投稿者 はるお : 23:30 | コメント (87)

2005年01月23日

詩のボクリング

昨日セミナー室で飲んでいるときに、「詩のボクシング」なるものを始めて見たのですが、かなり心にグッと来るものがありました。優勝者の林木林(きりん)さんの最後の詩は、彼女の幻想的な感性を、見事なまでに醸造しています。「昔、よく『水』という字を『木』と間違えて読んでいました。」から始まり、水の波紋が木の年輪になったり、葉の葉脈が水の広がりになったり、今までにない自然観が彼女の言葉を通して次々と実現していくのです。最後の「地球は木の惑星です。」という言葉に一瞬思考が止まりました。この世界は、本当に一つなのでしょうか。

投稿者 はるお : 01:42 | コメント (80)

2005年01月22日

ワイン祭り

昨日、第2食堂でワイン祭りなるものが開催されていて、ラボの友達とワインを飲みにいったんです。抽選会も催されていて、当たればワインをただで手に入れることができたのですが、それは叶いませんでした。チリの赤ワインと東大ワインを購入し、ラボの冷蔵庫で冷やしておきました。

そして、今日の夕方から、その友達とセミナー室で宴会を開始。コンビニでちょっとしたつまみを買って、ワインを楽しみました。21時からテレビ東京で放送される「アド街ック天国」で、東大ワインが紹介されるようなことを、昨日の人は言っていましたが、一瞬たりとも、そんな場面は現れず、番組は終了してしまいました。さっくりカットされてしまったんでしょうね、きっと…。

投稿者 はるお : 00:27 | コメント (109)

2005年01月21日

新プログ

日記を「はてなダイアリー」から自前のブログに乗り換えました。レンタルサーバーの容量が1Gもあるため、なにか他の用途に使えないかと考えてたんです。それなら、日記も自分のサイト内に統合してしまえということで、ログは全て自サーバー内に置くことにしました。Movable Type をインストールして、なんとか運用しています。まだ完全に使いこなしているわけではないのですが、とりあえずは稼動しているからOKです。

新しい「東京大学の歌」の歌詞に入選作品がなかったということで、応募した人全員にボールペンが送られてきました。モノは良さそうな感じなので、愛用しようかと思います。

投稿者 はるお : 00:05 | コメント (99)

2005年01月20日

突然の電話

夜に突然、携帯電話がなった。マンドリン部の先輩だったのだが、かなり久しぶりの電話で驚いてしまった。彼は現在宮崎県にある九州保健福祉大学の薬学部で講師をしている。薬学部は新設されたばかりで、まだ最高学年が2年生なのだそうだ。突然の連絡に用件を尋ねてみると、「その大学で助手を募集しているから、宮崎に来ないか」というものだった。しかも4月からって急すぎるような気がする…。僕は丁重にお断りしました。だって、宮崎に行ったら研究しかできないじゃないですか、その研究がとびきり面白いならまだしも、没頭できるようなものではないし…。宮崎行くなら老後にとっておきます。世の喧騒から離れて、ゆったり暮らしたくなったら自然に足が向かうかもしれません。今はまだ、刺激を欲しているようです。

投稿者 はるお : 23:45 | コメント (100)

2005年01月19日

うちの助手に

研究室のS助手に嫡男が誕生いたしました。めでたい、めでたい。どんな名前をつけるんでしょうか、もう決めているんでしょうね。僕が自分の子供に名前をつけるとなったら、労力を惜しまず、考えに考え抜くと思います。名前は一生付きまとうからって思うと、責任重大な気にはなるんです。けど、最終的には考えることに疲れ果ててしまうかもしれないと予想してたりして…。結局、これしかない!っていう名前なんて見つからないような気もするのです。一回、つけちゃえば、それはそれで、どんな名前でも愛着が湧いてくるんでしょうね。

投稿者 はるお : 16:34 | コメント (76)

2005年01月18日

アジアの言葉

最近、中国語や朝鮮語を耳にすることが多いかと思いますが、いずれも日本語にはない発音が多く含まれていますね。これらの音は、聞き取ることも、話すこともままならないものです。また、呼吸も日本語よりシッカリしているような気がしてなりません。日本語の音声というのは、発声するという観点から眺めると、非常に楽なもののように思えます。逆に言えば、日本人が外国語を身に付ける秘訣として、日本語にはない奇妙な音をうまく発声できるかどうかにかかっているのではないでしょうか。(いや、まあ、もちろん文法も大切なのですが…。)

投稿者 はるお : 16:38 | コメント (68)

2005年01月17日

セミナー終わる

クラシックセミナー、ようやく一段落つきました。あ~、かなりしんどかったです。1961年、Journal of Physiology に掲載された Dudel & Kuffler の3連報です。トータルで50ページに及ぶ長い論文なのですが、この存在価値は非常に高いのです。最後に、シナプス前抑制の機構を示したのは見事でした。しかし、GABAという物質がそれを介していることを、もう少し明確に示していれば、金字塔的論文になっていたことでしょう。40年前に、GABAが神経伝達物質だとは思いもつかなかったんだと思います。でも、かなり惜しい実験をやっているのです。ここまでやったのに、どうしてあともう一つ実験をしなかったんだ、っと嘆きたくなるような感は否めませんでした。

投稿者 はるお : 16:38 | コメント (69)

2005年01月15日

寒い日が続く

どうも寒いのは苦手です。寒くなければ冬もいいのに、と思うのは傲慢でしょうか。仙台にいたときより暖かいはずなのに、ダメです、寒いものは寒いのです。実は常夏に憧れているのですが、それはそれで、毎日同じでつまんないのかもしれません。でも、それは一度体験してからでないと判断つかないけれど…。暑い方が身体が活性化しているような感覚が得られて、気持ち良いのですよ。そうなってしまうと、頭が火照ってしまうんじゃないかと心配はしています。どうであれ、現実からは少し遠い話でした。

投稿者 はるお : 16:38 | コメント (137)

2005年01月14日

むずかしい

結局、メルマガを発行するには至らずで、ごめんなさいでした。次回の配信は来週の木曜日になる可能性が大きいです。セミナーで選んだ論文が全く理解できないんですよ、週末に頑張って読み解こうと思います。

年末に募集していた「新しい東京大学の歌」の歌詞の選考結果がでました。入賞作品はないようです。僕も応募したのに残念でした。
http://www.u-tokyo.ac.jp/stu01/b01_05_15_j.html

ちなみに、僕の作詞は以下のような内容でした。

「このみち」
              作詞 水谷治央(みずたにはるお)

  歩むこの道 薫る風   (あゆむこのみち かおるかぜ)
  学ぶ同志の 交流章   (まなぶどうしの こうりゅうしょう)
  知の結晶 受け継ぎし  (ちのけっしょう うけつぎし)
  堅い礎 築きたらん   (かたいいしずえ きずきたらん)
  峰の教えを 結実し   (みねのおしえを けつじつし)
  享けた足跡 この道に  (うけたあしあと このみちに)

  進むこの道 剛い風   (すすむこのみち つよいかぜ)
  つくる同志の 魁章   (つくるどうしの さきがけしょう)
  知の創造 紡ぎ上げ   (ちのそうぞう つむぎあげ)
  澄んだ絹糸 溢れさせん (すんだきぬいと あふれさせん)
  宇宙の神秘 追い求め  (うちゅうのしんぴ おいもとめ)
  成した足跡 この道に  (なしたあしあと このみちに)

  平むこの道 放つ風   (ひらむこのみち はなつかぜ)
  授く同志の 還元章   (さずくどうしの かんげんしょう)
  知の財産 差し渡し   (ちのざいさん さしわたし)
  民と喜び 分かち合わん (たみとよろこび わかちあわん)
  社会の絆 深めたし   (しゃかいのきずな ふかめたし)
  尽くした足跡 この道に (つくしたあしあと このみちに)

投稿者 はるお : 16:42 | コメント (4941)

2005年01月13日

クラシックセミナー

古典論文を探しているだけで、一日が終わってしまいました。一番手ごわいんですよ、クラシックセミナーが…。今日発行する予定のメルマガは明日発行できるだろうか、それも危ういです。そして、簡単な論文にしようと思っても、なかなか見つからず、結局シンドイ論文を読み込む事になりそうです。昔の論文って長いんですよ、撃沈しないよう頑張りたいと思います。

投稿者 はるお : 16:46 | コメント (2392)

2005年01月12日

またぐ

昔、親に「人にまたがれると出世が遅れる」と言われたことがありました。ウチの親は迷信っぽいことを色々いうのだけれど、これもその一つなんです、たぶん。でも、今日ふと思ったのですが、人にまたがれる必然性がある環境を考えると、ちょっとなるほどと思ってしまいました。

人にまたがれるためには、まず自分が横にならないといけません。横になっているのだからあまり生産的な活動はしていない状況と思われます。そして、ある人が自分をまたぐ場合として考えられるのは、部屋が狭い場合です。部屋が広ければ、わざわざ人をまたいでまで、空間を移動しないような気がします。トイレに行くときに、自分をまたがなければ辿り着かないような状況で、自分が起き上がらなければ、必然的に自分はまたがれます。このとき、自分はそんなに狭い部屋で生活しているのですから、貧乏な可能性が高いです。そのくせ、起き上がる努力もしない「ぐうたら」な訳ですから、その貧乏生活から脱出できる可能性も低そうです。資本もなければ、努力もしない、確かに人にまたがれるような環境が整備されている人は出世する条件を十分に満たしていないのかもしれません。僕はこれまで幾度となく家族にまたがれているので、社会的出世は期待できそうもないな~。

投稿者 はるお : 16:46 | コメント (312)

2005年01月11日

男女の声

外国語を聞いていると、男性の声より女性の声の方が聞き取りやすい気がします。皆さんはどうなのでしょう、同姓の声と異性の声で聞き取りやすさは違うと感じますか?本能的な問題なのか、文脈的な問題なのか、はたまた興味の問題なのか、直接な原因は分かりませんが、主観の入った現象を客観視するのって難しいですね。いくら科学的に客観性を強めても、最終的にその情報を判断するのは自分なので、そこに主観が入り込むわけです。主観と客観の議論は耐えない話題だと思いますが、主観を説明しうる客観的な理論が創出されるまでは、まだまだ時間がかかりそうです。そのことについて考えていることができる時代は、幸せな一時なのかもしれません。

投稿者 はるお : 18:09 | コメント (68)

2005年01月09日

インド料理

今日の夕食は根津でお店を探しました。いつも行っている定食屋さんが閉まっていたので、不忍通りを南に歩いてみたら、なにやら目新しい看板が光っています。なんと、こんなところにインド料理屋ができているとは思いませんでした。店内はインドの音楽が流れているためか、少し異様な雰囲気でしたが、明るくて居心地もよさそうです。店員は全員インド人な感じでした。ビーフとマッシュルームのカレーとガーリックナンを注文、透明なガラス張りで囲まれている厨房の中で、料理が作られていきます。さっそく、一口ナンを頬張ってみると、なんとも優しい触感です。今までに食べたナンの中で一番おいしいと思いました。焼き立てだからという要素もあると思いますが、しんなりとした生地に微かな甘みが感じられます。カレーもスパイスと野菜の旨みがうまく調和して、食欲を駆き立てます。ナンとの相性はまさに絶妙としか言いようがありませんでした。予想外にいい店を見つけることができて、ラッキーでしたね。また、近いうちにお店を覗いてみたいと思っています。

投稿者 はるお : 18:15 | コメント (64)

2005年01月08日

サイエンス

昨日のサイエンス誌にうちの研究室の論文が掲載されました。朝日新聞などでも紹介されているようなので、一応引用しておきます。
http://www.asahi.com/science/update/0107/001.html

実は、これのどこが新発見なの?と気付ける人は、かなり通な人だと思います。そもそも「ダイナミン」という分子はかなり前から知られていて、情報伝達物質の回収に必須なタンパク質だという認識は高かったのです。だから、新聞の見出しも「脳の情報伝達重要物質を"確認"」となっているでしょ、そうなんです、"確認"なんですよ。新しい分子を発見したわけでもないし、新しい機構を見いだしたわけでもない、今まであった仮説の真実味を多少引き上げた、そんな程度です。

しかし、本当にこの論文の内容がこれだけなら、サイエンスには掲載されなかったと思います。これ以上詳しいことを書いてもしょうがないので書きませんが、その細かいことがえらく気に入った審査員がいたのです。1991年にノーベル賞を取ったErwin Neherです。ぶっちゃけた話をしてしまうと、この論文を受け入れてくれたのは彼だけだったのです。ノーベル賞受賞者が「うん」といえば、それで論文が受理される世界もある、そんな政治性を科学の分野で身をもって体験しました。どの分野でも、友達は作っておきましょう、ですね。

それでも、論文の内容は、しっかりしていると思うので、全く知らない人が読む分には、あまり問題ないと思います。まずは面白いところをうまく抽出してみることが大切ですよ。問題点はほじくればどんな論文からでも出てくるものなのです。どこまで深く掘り下げるかは、興味の深さの問題になってきます。

投稿者 はるお : 18:15 | コメント (88)

2005年01月06日

かさ

根津には傘屋さんがあります。今まで入ったことがなかったのですが、持っていた傘が壊れてしまったので、その店の戸を開けてみたのです。商いをしているのは、おばあちゃん1人。でも、傘のことをよく知っていました。僕の身長からすると70cmでもいいみたいですが、やはりそれは大きすぎるような感じです。閉じたときの長さは65cmと70cmでほとんど変わらないのですが、開いたとき如実に違いが分かります。今は軽い傘が主流となり、丈夫さに欠けるそうです。昔は真鍮で芯をこしらえていたそうですが、現在は全くなくなってしまったのです。その代わり柔になったと嘆いていました。

投稿者 はるお : 18:09 | コメント (61)

2005年01月05日

世界物理年

2005年は、アインシュタインが特殊相対性理論を発表してから100年、没後50年ということで、「世界物理年」という位置づけらしい。今日の読売新聞でも特集が組まれていて、アインシュタインの偉業が解説されていた。僕は大学受験は物理と化学だったのですが、大学に入ってからは、まともに物理学を勉強していません。したがって、相対性理論についても正確には理解していないと思います。せっかくの機会なので、今年は量子力学と相対性理論を勉強しようかと思っています。まずは朝日カルチャーセンターの「やり直す物理学-ゼロから学ぶ量子力学」を受講する予定です。

投稿者 はるお : 18:17 | コメント (74)

2005年01月04日

正月ボケ

まったり正月は終わってしまったのいうのに、なかなか気分が乗りません。今年一発目のセミナーに当たっているので、準備をしなくてはいけないのだが…。しかも、クラシックセミナーといって、古典論文の紹介だから、解読するのに時間がかかるのです。そのときの時代背景も考慮しないといけないし、予想以上にしんどいんですよね。今週中に、紹介する論文を決めて勉強しなければなりません。ホコリの積もった書物とご対面です。

投稿者 はるお : 18:17 | コメント (111)

2005年01月03日

大吉

午前中、妹と初詣に行く。谷保天満宮は菅原道真を祀っている神社である。3日だというのに参道には長い列が、それでも30分ほどでお堂の前まで来ることができた。「今年がいい年でありますように」最近はいつもそう願っている。それでも、博士論文を書く年だから、何とか卒業させて欲しいという思いもチラッとあったかもしれない。おみくじは大吉でした。無事、論文通るかな。

自宅に着くと、叔父(父の弟)家族がおせち料理を囲んでいた。今日は父の親戚がウチの祖母に会いに続々とやってくる日なのである。時間が経つにつれて人数が増えていく。今年は珍しく大叔母まで来て、気疲れしてしまった。それでも、みんな楽しそうに話していたから良しとしましょう。うちのおばあちゃんはとても嬉しそうにしていたしね。

皆さんが帰宅した後、僕も自分のアパートへ帰りました。東大和の駅で切符を買おうと、自動販売機に行こうとしたら、なにやら高校の友達に似ている人が切符を買っている。いや、ちょっと太ったけど、友達のTZ君でした。高校卒業以来だから、10年ぶりの再会ではないだろうか。かなりの偶然に驚愕してしまった。高田馬場まで楽しく会話をしたりして、近況報告。こんなところでおみくじの運を使い果たしてしまっているかもしれない。

投稿者 はるお : 18:17 | コメント (91)

2005年01月02日

母の実家

毎年1月2日は埼玉にある母の実家に行きます。いわゆる親戚周りというやつなのですが、僕はどうもこれが好きではありません。地縁や血縁を重視することは悪いことではないと思いますが、いろんな人に挨拶をして回り、ローカルな世間話に耳を傾けるのがつらいんですね。基本的にその土地にいないと理解できないような話ばかりで、結構ウンザリするんですよ、これが…。それでも、笑って何とかごまかして、話を無理にあわせたりして、頑張っております。

きっと、こういうことは日常茶飯事にどこでも起こっていて、今という生々しい現実を見据えて生きている人たちばかりなんだと思います。向こうの人たちから見れば、科学をやっている人は道楽をやっているように映るのかも知れません。一般の人たちが楽しめる科学を提供するのは至難の業のように思えますが、それでも、科学が内包する美しさを少しでも垣間見れるようにしたいっと切望するのでした。

投稿者 はるお : 18:17 | コメント (98)

2005年01月01日

明けましておめでとうございます

2005年、今年ものんびりとした正月を迎えています。お正月は一年分の情報を手に入れるために、テレビを見ている時間が長いです。普段はテレビをあまり見ないので、お正月番組で、昨年の音楽やお笑いの流れを一気に吸収する努力をするのです。これでギリギリ話についていく事もできるのです。

そんななかで、自分のお気に入りを探したりもするのですが、今年僕の心をつかんだのは、大塚愛さんでしょうか。彼女の感性は独特で、かつ裸です。大阪弁をしゃべる彼女の等身大の姿に、かなり好感が持てました。彼女が自分の作品を表現する過程で、ありのままの自分を出しているのが分かります。これからの彼女の創作活動には期待大です。あの子の感じた感覚をもっと知りたい、そう思わせてくれました。

投稿者 はるお : 18:17 | コメント (1634)